第一次大戦を機に「列強」の仲間入りをした日本
もう一つ大事なことは、日本は第一次世界大戦時、連合国の一員として戦い戦勝国の側にあったということです。第一次世界大戦で日本はドイツの租借地であった青島要塞を攻略したことはよく知られています。一方で海軍はドイツのUボートに対抗するために地中海に対潜護衛艦隊を派遣して活躍したことはあまり知られていません。この時の日本海軍は連合国の一員として非常に高い評価を頂戴しています。
日本は戦争で不足しがちな船舶や戦時物資の輸出で外貨を稼ぎ、日露戦争の戦費のためにできた海外からの借金も返済して、急激に経済力もつけました。連合国側にいた日本は第一次世界大戦中に世界5大国のひとつとして認められるようになります。それまで欧米人が主体だった国際社会の中で有色人種の国が大国として勃興したのです。
日米開戦の原因も内包されている
アジアに勃興する日本は自国の権利を強く意識し、より大きな影響力と敬意を求めるようになりました。どうでしょう、歴史はまったく同じことを繰り返すわけではありませんが、似たような状況はよく起こります。
日露戦争で「10万人の英霊と20億円の戦費をかけて獲得した満洲」とは戦前の陸軍軍人が大陸侵攻を正当化するためによく使ったフレーズですが、ポーツマス条約で日本が得た権利は期限が短い満洲鉄道の租借権でしかありませんでした。日本ではこれを「中国問題」と呼びました。
その解消のために日本は第一次世界大戦で手薄になった欧米諸国の隙をついて「対華21カ条要求」を突きつけ、中国権益に対して強気な態度で臨みます。そしてこれ以降中国と、中国利権に関心がある米国は近づき、日本に敵対していくことになります。ここにはやがて第二次世界大戦に至る重要な要素が内包されていたのです。