自分のところで調達できないリソースを獲得するために、自らの自主性をある程度犠牲にしても、他の組織と連携を組み、問題解決を図る。そうした勇気あるリーダーの行動が求められる。第二に日本のリーダーたちは、現場重視、現場重視といいながら、本当に現場を重視することの意味をわかっていたのだろうか、という疑問が出てきた。

確かに、現場の意思決定力や問題解決能力を重視し、資源を投資し、現場における改良・改善などの力を開発することに努めてきたということはある。その意味でリーダーたちは、現場が経営上の鍵だと思い、強い現場の確保のために努力してきたようだ。

だが、それは「現場重視」の一面なのである。現場重視は、「平時」と「戦時」で大きな違いがあるのだ。平時というのは、普通の状態である。大きな変動は想定していない。異常事態もそんなに大きいものは起こらない。

その状況では、現場で判断し、現場で問題を解決したほうが効率的である。いちいち組織上部に判断を仰いでいたら、それだけ時間を食ってしまい、不良品が最終工程で山積みになってしまう。日本の製造業について行われた研究の多くが、比較的小さな異常への対処能力を現場に備えておくことが日本のモノづくりにとって効果的であったことを示している。だが、それはあくまでも、平時、つまり大きな変動を伴わないときである。

逆に戦時、いうなれば環境変動や問題が極めて大きく、解決に向けて新たな方向性が必要な場合はこの議論は当てはまらない。

変動が大きすぎて自らの問題解決能力では対応しきれない場合、現場は大きな方針なしで大きな変動に立ち向かうと間違いが大きくなり、またいろんな試行錯誤を繰り返すために、資源の無駄も出てくる。

さらに、そのなかで働く人が疲弊し、また人々が真面目である場合、目標を達成しようとして危険な行動にも走る可能性がある。

戦時の現場重視とは、平時とは逆に、明確な指針を示してあげることなのである。指針を出して、現場の人たちが試行錯誤するにしても、試行錯誤する範囲をある程度決めてあげる。それが戦時での現場重視だし、現場の問題解決能力の有効活用なのである。ゆめゆめ方針も現場が考えてくれると思ってはいけない。

再びだが、今回の東京電力の福島原発での状況はどうだったのだろうか。報道がほとんどないのでわかりにくいが、漏れ聞く様子では、どうやら現場があらゆることを試させられて、疲弊しているように思うのである。戦時の現場重視は、通常は経験できない。だからこそ、リーダーとして平時からきちんと考えておきたい。