香港で生まれ育ったウーは、アメリカの大学に進学し、交換留学でフランスにわたった後、青山学院大学で国際貿易を学ぶために来日した。1987年。ちょうどバブル景気の真っ直中、セゾングループが我が世の春を謳歌していた時期である。

1年後、1人の友人がウーの人生を変えることになる情報をもたらした。

「『ジャパンタイムズに西武百貨店の求人広告が出ている』と教えてくれたんです。私は青山の寮に住んでいたので、渋谷の西武百貨店にはよく行っていました。あの頃の西武は無印やロフト、SEEDといった新しい業態をたくさん生み出していて、クリエイティブな印象が強かったですね。もともとファッション業界で働きたいと考えていたこともあって遊び心で応募しました」

受験してはみたものの、日本での留学期間も終わりに近づいてきたのに、合否の連絡がいっこうに届かない。遊び心で受けたとはいえ、やはり結果は気になる。ウーはアメリカに戻る前日に、念のためにと西武の人事部に電話をかけると、聞こえてきたのは「合格しています」の返事だった。よく言えば悠長、悪く言えば怠慢な対応。人事にあるまじき仕事ぶりに思えるが、当時の西武にはこうしたのんびりとした空気があったのかもしれない。

合格と言われても明日にはアメリカに発たねばならない。ウーが人事に事情を話すと、「6月に卒業したらまた東京に戻ってきてください」と言われ、これで卒業後の進路が決まった。

「それでもまだ半信半疑でした。でも、アメリカに戻ったら人事から入社に必要な書類一式がちゃんと届いた。だったら日本で勤めてもいいかなあと(笑)」

6月後半に再び来日したが、電話を引くお金もない。人事部には外から電話をかけ、人事部からの連絡は電報で受け取った。なんだかのどかな光景である。

百貨店は場所貸しをしているだけ

「ファッションの仕事がしたい」と希望を出し、配属先として決まったのがSEED館だ。

職場に外国人が配属されるのはウーが初ということもあり、フレンドリーな空気の中でウーは念願のファッションの仕事をスタートする。館長の石川とウーとの相性もよかったようだ。