シティが出店すれば、どんな場所も賑わう

1号店オープンから2年後、2号店は9龍側のハーバーシティ内に誕生した。廣東道に面するこの大規模ショッピングセンターのオーナーもやはりワーフグループ。1号店のタイムズスクエア同様、客が集まらず、打開策としてシティスーパーにオファーがあった。

またしても不振の商業施設への出店である。石川はかなり迷ったそうだが、結局出店を決意。この判断は「吉」と出た。1号店よりも広い1500坪のシティスーパーがトリガーとなって、ハーバーシティ全体の集客力が高まった。

現在、ハーバーシティでもっとも混雑するのは、シティスーパーが出ているゲートウェイの3階だが、他のゾーンも好調に転じている。閑散としていた廣東道の町並みも変わった。欧米の高級ブランドが路面店を構える現在の光景に、シティスーパー出店以前の面影を見出すことは難しい。

不振な商業地を1度ならず2度までも甦らせたことで、シティスーパーの実力は香港中に知れ渡った。

「シティスーパーを出せば、どんな場所でも賑やかになる」

都市伝説のような噂が飛び交い、シティスーパーのもとには大量の出店要請が寄せられるようになる。だが、石川は慎重な姿勢を崩さなかった。数あるオファーの中から3号店の場所として選んだのが、香港島セントラルのIFCモール(国際金融中心)の2階だ。

2003年9月、IFCモールがオープンの日を迎える。だが、石川の姿はそこにはなかった。前年の暮れ、体の不調を訴え病院に緊急入院、検査を受けるとすい臓癌が発見され、そこからの進行は早かった。急逝したのは入院のわずか5週間後だ。

石川は昏睡状態に陥る直前、ウーを後任に指名した。

創業者の死を乗り越えてオープンしたハーバーシティ店は成功をおさめ、シティスーパーの現在の売り上げは17億香港ドル。毎年10%増の数字をあげ、利益率の伸びは20%台。ロンドン、ニューヨークへの出店をみすえたトーマス・ウーの世界戦略は、プレジデント社刊『論より商い』(三田村蕗子著)でお読みいただけます。

※本連載は、プレジデント社刊『論より商い』(三田村蕗子著)からの抜粋です。