磁性材の深化を確信させた「源流」

毎日、工場を巡回しても、余計な口は出さず、励ましに徹する。ある日、ふと、声をかけた。「たいへんだな。きみたちだけで苦しまず、日本から応援にきてもらいたい人がいたら、遠慮せずに言ってくれ」。このひと言が、袋小路に入っていた面々を救った。応援メンバーを得て、実験を繰り返しているうちに、不具合の原因を発見する。

5年2カ月、小さな国での体験だったが、すごく勉強になった。ルクセンブルクは、南アフリカ共和国やロシアなど政体が激変した国と、いち早く国交を持つ。国でも企業でも個人でも、自己主張やアイデンティティーをちゃんと持っていれば、率直に認める。一方で、当時、大学がなかった。大学があると、狭い国でも卒業者の閥ができてしまうから、国外へ出て学ぶようにしていた。そんな「小国の知恵」をみて、「TDKも小さい会社だが、TDKらしくやっていけばいい」と頷く。

帰国後、時代はアナログからデジタルへと、大きく回転した。ルクセンブルク時代に、デジタル記録媒体のCDやDVDを手がけようと考えたことがあるが、間違いだったと気づく。その種の製品は、設備さえ持てば、誰でも、どこでも、同じようにつくれてしまい、差別化ができない。そこまで考えて、はっ、と思い起こす。「小国の知恵」だ。売り上げ規模にこだわらず、他社や他国ではできないモノ、そこに価値があるモノに絞らないと、いけない。それは、会社の源流である磁性材を中心に、素材の世界へ深化させていくことだ。そう、確信した。

実は、社長時代の最後に、ルクセンブルク工場を閉鎖した。誰でも、どこでもつくれるようになれば、コストの差が決定的だ。でも、社長が立ち上げた工場を閉める案を、部下たちは遠慮して言わない。なかには「他国で生産している分をくっつければ、ルクセンブルクでもやっていける」と持ち上げた役員までいた。それを聞き、「裸の王様」になりつつあることに気づく。工場閉鎖の準備を進めるなかで、社長を退いた。

在任8年の間、ずっと、気になっていたことがある。毎年、100人前後の新入社員を迎え、社員バッジを手渡して、握手した。もちろん、全員とだ。すると、彼らの手が、汗でぬれている。これから始まる新しい人生を思うと、体がたぎるのだろう。そうした燃える心が、3年から5年もすると、残念な姿に変わっていく。会社の先行きに楽観してか、あまりに呑気になるのだ。

無論、単なる仕事人間になってほしいなどとは、思ってもいない。義務的にではなく、課題へ向かって燃える思いがほしいのだ。そういう思いがあるほうが、人生が充実し、健康にもいいのではないか。そう思っているのだが、どうすればいいか、術がみつからない。

中国の『韓非子』に「一家二貴、事乃無功」(一家に二貴あれば、事乃ち功なし)との言葉がある。一軒の家や城に2人の権力者がいると、その家や城は何事もうまくいかないとの意味で、両頭政治への戒めだ。

リーマン・ショックの直撃を受けて、2年で辞めるつもりだったCEOの役を1年延ばしたが、昨年、社長に渡した。代表取締役の肩書も、いつでも返上しようと思っている。社内の再活性化に思いは残るが、それは、若い社長に託せばいい。やり残したことなど、いつまでもある。いずれ、思い切らねばならない。

(聞き手=街風隆雄 撮影=門間新弥)