「見ることとは何か」という問いから生まれた鏡文字

【山本】ダ・ヴィンチが人体を解剖することによって、見ることを明らかにしようとした実証実験も重要ですが、それを超える発想が「対象物を見ること」そのものに疑問を抱いたことです。僕はこれを新潮美術文庫4『レオナルド・ダ・ヴィンチ』の東野芳明氏の解説文で知りました。彼はダ・ヴィンチが残した約5000枚の手記がなぜ左右逆になる「鏡文字」で書かれたかの謎を解き明かしています。

山本豊津、田中靖浩『教養としてのお金とアート 誰でもわかる「新たな価値のつくり方」』(KADOKAWA)
山本豊津、田中靖浩『教養としてのお金とアート 誰でもわかる「新たな価値のつくり方」』(KADOKAWA)

他の説と異なるのは、文字と同じ紙の上に描かれたデッサンも左右逆に描かれていると指摘した点です。ここではかいつまんで大切なことのみを話しますが、詳しく知りたい方は新潮美術文庫を読んでください。

ダ・ヴィンチが考えたことは、「私たちが見ている世界は見られている側からすると左右逆になっていて、私たちは現実を錯覚して見ている」ということです。鏡に映った自分の姿を見ると、僕の右手は映った自分の左になりますよね?

東京画廊ではこの「自分の目で見ること」の錯覚をテーマにした展覧会を1968年に企画しました。美術評論家の中原佑介氏と石子順造氏がキュレーションした「トリックス・アンド・ヴィジョン」展です。「見ること」が眼球の構造上、どうしてもトリック的であるとする2人の考えが、1974年発行の東野氏の解説に影響したのかもしれません。

目で見ている世界は実は「錯覚」である

【山本】それにしても、450年前にダ・ヴィンチが解剖によってそのことを突き止めたのは驚きです。

神が見る側の頂点にいると信じられていた中世において、彼は「目で見ることは錯覚だ」ということに気づいていたのです。それから、ダ・ヴィンチが考えた「見ること」への探求は戦後のアメリカ現代美術のアーティストであるロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズに引き継がれ、今日に至っていると喝破した東野氏の炯眼けいがんには、いまさらながら頭が下がる思いです。

【田中】ダ・ヴィンチが鏡文字でメモを書いていたことは知っていましたが、それは目の構造にまで関係した話なのですね。

【山本】ダ・ヴィンチのスケッチには目の解剖図もありますから、おそらく目の構造について理解していたはずです。そのうえで「自分の目で見ること」は錯覚であり、相対的であると知ったダ・ヴィンチはまさに人間を中心とするルネサンスの申し子と言えるでしょう。ここから始まった透視図法が19世紀末まで絵画の大原理となっていたのもうなずけます。この大原理も産業革命によってイタリアの未来派やロシアの構成主義が生まれたことで徐々に後退してしまいました。

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