神がいなくなり、人間の視点が生まれた
【田中】消失点は、実際には平行に走っている道が遠くに行くほど狭まって見え、やがてそれが交差する点のことですね。透視図法の背景には、そんな「神から人間への視点転換」があったのですね。先端技術の裏側に、極めて精神的な主人公の転換があった。一見するとかけ離れた技術と精神の組み合わせで透視図法が生まれたとは、かなり驚きです。
実は会計の世界でも、似たようなことがあります。中世イタリアの帳簿には、表紙に「神と利益のために」と書かれていたりします。これはおそらく、神に誓って悪いことをしないから儲けさせてくださいという意味です。当時は神がガバナンス(統治)の中心だったわけです。それが神のいない時代に入って、ガバナンスは人間自ら構築しなければならなくなりました。透視と統治はなんとなく言葉も響きも似ていますが、そのルーツも似ているのですね。
【山本】ちなみに透視図法の始まりである消失点の延長線上に、写真機の「焦点」があります。遠近法の延長線上に写真機ができたことは、科学という発展のなかですごく大事なことだと僕は思います。
西洋と東洋の「描き方」「つくり方」の違い
【山本】人間の視点が動かない西洋絵画に対して、東洋絵画の特徴は身体が動くことです。例えば水墨画を床の上で描く場合、紙が大きいから遠くを描くには自分がそこに移動しなければなりませんよね。ダ・ヴィンチがキャンバスで遠くの絵を描くときは自分が動く必要はないけれど、東洋絵画は物理的に身体を動かすことが必要になるわけです。ここから西洋とは異なる「遠遠、中遠、近遠」という三遠法という東洋独自の遠近法が生まれてきます。
【田中】自分が動くか、それとも動かないか。その違いにおいてダ・ヴィンチの遠近法が重大な転機だったということですね。
【山本】そうです。『ダ・ヴィンチ ミステリアスな生涯』という1972年のドキュメンタリードラマがあるのですが、そのなかで彼は、「もっと光を」という言葉を残します。なぜかと言うと、蝋燭の光を向こうに置き、光がこっちに来るときに薄い布をかけて、そこに絵を描き込むのが重要ポイントなのです。
例えば、オペラの劇場でも後ろに布をたくさんかけますが、それは実際より遠近感を強調するためです。川をつくって向こう側にボートを置いて、布をかけてわざと遠くをぼんやりさせて遠近感を演出する。日本の歌舞伎などはそんな方法を用いず、舞台の平面性が強いです。このように東洋と西洋では、舞台の奥行きのつくり方も全然違います。