おもしろい本には知識、思想、感情の3つがある
いま『YouTube大学』で紹介している本は、すべてが自分の内的な動機から手に取るものというわけにはいかない。それでもどの本にも「見どころ・読みどころ」はきっとあるということは、読書を重ねれば重ねるほど、よくわかるようになってきた。
おもしろい本の共通点も、なんとなく見えてきた気がする。
それはまず、「ああ、そうなんだ」と知らない知識を教えてくれるところがあること。そして「なるほど」と新しい考え方を提示して驚かせてくれる面があること。さらには、「わかるなあ……」と思わず共感してしまうようなエモーショナルな部分がしっかり描かれていること。それらの要素がどれも満たされている本は、きっとおもしろいとわかってきた。
知識、思想、感情という3つを一挙にインプットできるというのは、考えてみればすごいこと。いい本に当たるというのは、これ以上なくお得な体験だ。
「当たり」の本から充実したインプットができると、自分のアウトプットにも間違いなくいい効果が期待できる。というのも、ぼくらはまさに「当たりの本」がもたらしてくれるようなアウトプットがしたいと思っているからだ。
知識、思想、感情。この3つを綯い交ぜにして一挙に伝えられれば、相手に「そうなんだ」「なるほど」「わかる、わかるよ!」という体験をすべて届けることができる。それが実現できたら、最高のアウトプットといえるではないか。
本を大量に読むことによってぼくは、最良のアウトプットとはどういうものかを実地に学ぶことができたのである。
『古事記』の荒唐無稽さを味わえるのは古典ならでは
『YouTube大学』で紹介した本のなかから、ぼく自身がとくに深い感銘を受けたものを挙げるとすれば、まずは『古事記』である。
学校の授業でそのタイトルは聞いただろうし、これを伝承したのが稗田阿礼だったというところまで覚えさせられた記憶のあるひとも多いと思う。ただ、その中身を読んでみたことのあるひとはどれほどいるか。ほとんどいないだろう。ぼくだって『YouTube大学』をやっていなかったら、これを読むことはなかったはず。なんとももったいないことである。
『古事記』とはつまり、日本の神話集だ。これがもう単純にエピソードとしておもしろい。話の内容や展開は、現代を生きる私たちからすれば、かなりむちゃくちゃである。え、ここでそんなことする? そっちに話が展開するの? といった驚きの連続。大昔の話ゆえ、常識がかけ離れているのだ。
物語として読むのなら、それくらい荒唐無稽なほうがおもしろい。現代には、理路整然とした話なら溢れ返っている。意味はよく通じるが、心になかなか残らない話はもうたくさん。せっかく古典を読むのだ、ここは破綻だらけの話の妙味を楽しみたい。