「ストーリーにのせて伝承する」ということの原点がある

『因幡の白兎』という物語の名には、聞き覚えがある向きも多いだろう。この昔話も出典は『古事記』である。この因幡の白兎がまたズルくて、可愛くて、滑稽だ。そういうのが「ありがたい古典」として読み継がれてきたのだから、なかなか不思議なものである。

ほかのお話では、日本のいわゆる偉い神様たちが続々と登場する。たとえばスサノオなんて、かなり強烈なキャラクターだ。読んでいるこちらが引いてしまうほどの暴れん坊で、言動はやりたい放題。それがアマテラス、ツクヨミと並ぶ神々の頂点にいるというのだからすごい。

しかも、だ。このアマテラス、スサノオ、ツクヨミの三神は、ギリシア神話でいうゼウス、ポセイドン、ハデスという神々とキャラクターが酷似している。アマテラスとゼウスは最高神で、その身内であるところのスサノオとポセイドンはともに海の神。ツクヨミは月と闇の神でハデスは死と冥界の神。太陽、海、月の三すくみ状態が日本とギリシアの神話でまったく同じというのは、ひとの考えることは地域や時代を超えて根本は変わらないことを示しているだろうか。

ただし日本の神話のほうでは、アマテラスが女性である。最高神が女性という特徴はどこから来たのかなどと考えていくと、お話としても歴史としてもたいへん興味深く感じられてくる。

ストーリーにのせてなんらかの物事を伝え、受け継いでいくということの原点が、古典にはある。『古事記』に宿る力を借りながら、ぼくもいっそういい動画をつくっていけたらと意を新たにした。古典から学ぶべきことは本当に多い。

『源氏物語』はいわば「SNSで人気に火がついた作品」

古典ということでいえば、これも『YouTube大学』で取り上げたもので、『源氏物語』も予想以上におもしろかった。古典の授業なんかで出合ってそれっきりというパターンが多いだろうから、あまりいい印象がないままというひともいるだろう。それはやはりもったいない。

あの作品はもともと、紫式部が周囲のひとを楽しませるために書いていたもので、いわばラブコメである。それが評判となり、ひとの知るところとなって、姫君のために書き続けてほしいというヘッドハンティングの話が舞い込んだ。それでさらに書き継がれていったものだという。

いわば平安時代の「見出された連載小説」。現代でいえばさしずめ、SNSで漫画をアップしていたら注目され、商業誌に引っ張られてそのまま大ヒット連作にまでなったようなものだ。

ラブだけじゃなくて、リアルな出世バトルの要素もたっぷり盛り込んであるから、半沢直樹のような雰囲気もあり、男ウケもいいと思う。ただし、クライマックスのバトルが「絵合わせ」で行われるところなど、さすが雅な平安貴族らしくて時代を感じさせる。

当時の知識や情報、人々の考え方、そして登場人物たちの抱いた感情を、手に取るようにして味わえる。そういう要素をすべて兼ね備えていれば、千年も読み継がれるものにもなるのだと思えば、ぼくらがコンテンツをつくるうえでも『源氏物語』は大いに指針となり目標となってくれるものなのである。