日本的「滅私奉公」の弊害

それからしばらく私の滅私奉公とも言える努力が始まりました。のびのびしたいという気持ちはありましたが、先輩から「がん患者には土日がないんだ。だから私たちも休んでいる暇はない」と言われ、夜遅くまで働き、土日の仕事も当たり前のようにしました。その頃の自分はその在り方が正しいと信じて疑いませんでした。

国立がんセンターに所属して4年目になってチームのリーダーになり、後輩や部下の面倒を見なければならないようになってからは、明らかに仕事が自分の許容量を超えるような状況になりました。

いちばん問題だったのは、「滅私奉公が当然」と思っていた私は、部下にもその姿勢を求めてしまっていたことです。そうではない指向性を持つ部下のことは理解ができなかったので、非常によくない上司だったと思います。

おそらく、「これがやりたい」ということが確固としてあり、それを実現するためにその組織で働くというスタンスであれば問題ないのでしょうが、私のように「組織の一員としてがむしゃらに頑張れば将来の自分は満たされる」と思っているだけでは限界が来ます。

私の場合は、求められることのレベルが高まり、自分の能力を超えたことが苦しくなり、しかもそれが必ずしも自分のやりたいことではないため、40代に入って体力の低下とともに頑張り続けることが難しくなりました。ここらで限界が来たのでしょう。

ミドルエイジに来て、私をここまで導いてきた指針は全て崩れ去りました。自分の能力や頑張りにも限界があるし、社会に適応しようと周囲や組織の求めるものに応じて頑張っていても、どうやら幸せになれなそうだということを悟ったわけです。今まで信じていたものが徐々に崩れていき、ついに荒野にぽつんと1人で立っているような感覚でした。

20代の口腔がん患者との出会い

しかし幸い私はその状況に絶望せずに済みました。自分は終わりだというのではなく、「どこかで間違えただけだな」、「必ず道はあるな」と思えたのです。なぜそう思えたかというと自分が日々お会いしている患者さんたちが、進むべき方向を暗示してくれていたからです。

私が国立がんセンターで働きだして間もなくの頃、忘れられない出会いがありました。その頃の私より少し若い20代の男性患者さんで、口腔がんにかかられたのですが、手術をしたのにすぐに再発してしまいました。

再発が分かったときは非常にショックを受け、「僕は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目に遭わなければいけないんだ」と、人生の理不尽さを感じ、怒りをあらわにされていたそうです。