「自分らしさ」はこうして失われる

小さな頃、父は私に対して、「社会のためになる大きな仕事をしろ、それが生きる上でいちばん大切なことだ」ということを繰り返し言いました。私はこの言葉に、つい最近まで縛られていたように思います。

また、当時の社会状況では、管理教育や受験戦争、校内暴力が特徴的で、現代よりもさらに「want」の自分が抑え込まれやすい時代背景があったと思います。

私も、良い成績を取れば褒められ、そうでないと叱られました。そうすると、「良い成績を取っていないと自分は認められない」という暗黙の前提が自分の中に出来上がりました。そして、認められるためには「やりたいこと」は封印した方が好都合なんだと思うようになりました。

何のために生きるのかが分からない私は、高校生の時、進路を考えるときに困りました。苦肉の策として出した答えが、医学部に行って精神科医になるということでした。

精神科医の仕事をよく分かっていたわけではありませんが、とにかく困っている人を手助けするわけだから、父親が言う社会の役に立つ仕事ができるのではないかと考えました。

大学時代は、世界を旅するなど私なりに自分探しをしてみました。しかし、あくまでもこれは社会に出るまでの猶予期間で、医師になったら「社会に役立つ大きな仕事をする」ために頑張らなければならないという考えは、引き続き心の中に強くありました。

多くの人は親の支配に縛られることに気づかない

思春期というのは、親の支配から自由になろうとし、自分なりのアイデンティティを模索する時期です。親に反発して真逆のことをやろうとしたりすることもありますが、これはやはり親の存在を意識しているので、その影響力が残っているということを意味します。本当の意味で親から自由になったのではないのです。

また、もし仮に親の支配がなかったとしても、まだまだ世間を知らないので、自分自身の独自の道を切り開くということには至りません。誰か憧れの人、尊敬できる人を見つけて、その人をロールモデルに歩んでいくことが多いでしょう。

私の場合、医師になって5年目の時、国立がんセンターで働く医師の講演を聴く機会がありました。その医師は患者さんから得たデータを鋭く分析しており、その話からはがん患者の苦悩を科学の立場から解決しようという確固たる意志が見て取れました。その医師の話に感激し、私はその医師をロールモデルに頑張ろうと心に決めました。

国立がんセンターは、がんという日本人の死因第1の病気に関して、わが国最先端の臨床や研究を行う組織ですから、当時の私からはその存在は高くそびえたっているように見えましたし、そこに属する医師は皆雲の上の人のように思いました。そして、その一員になって、頑張りたいと思ったわけです。

しかし、これはある意味「社会に適応しなければいけない」という一種の「must」の考えに基づいた道のりですから、いずれ壊れることになります。