この20年間、ゲームはより豪華に高度に複雑にと性能の量的拡大を追求し、その都度ファンに受け入れられるという良循環で回り、業界もその成功体験にどっぷり浸かってきました。熱心なゲームファンは声も大きく、より高性能化を要求し、われわれもそれに応える。結果、ゲームは遊ぶのに非常に時間とエネルギーを要するものになってしまった。熱狂するファンがいる一方で実は声を出さずに静かに立ち去った人たちが多いのではないか。実際、ソフトの出荷額は97年をピークに下降線をたどっていました。

任天堂も01年発売の『ゲームキューブ』までは高性能化を突き進みました。しかしソフト開発のコストは膨れ上がる一方なのに売れる量は頭打ちです。このまま過去の延長上で仕事を続ける限り、ゆっくり死ぬのを待つことになる。自分たちは異質な商品をつくり、新しい道を探さなくてはならない。そう腹をくくったのが03年、新しい据え置き型の開発に着手したころでした。

私は一つの方向性を示しました。ゲーム人口の拡大を目指す。かつては茶の間でコントローラーを奪い合い、ギャラリーも一緒に楽しんだ。それがコントローラーは複雑化して差し出すと後ずさりされ、ギャラリーも消え、一人暗い部屋で遊ぶイメージになってしまった。

もう一度茶の間に持ち出し家族全員で触ってもらえるものにする。『5歳から95歳まで』『年齢、性別、経験を問わず、全員が同じスタートラインで遊べる』『お母さんを敵に回さない』『リビングにあっても邪魔にならない』……そんなキーワードを掲げて、ノンユーザーのユーザー化へと大きく舵を切ったのです。開発コード名はレボリューション。非連続な変化を目指す思いを込めました。

最初から社内の賛同が得られたわけではありません。多くの社員は既存の成功体験の中にいました。熱心なファンを敵に回すのではないか。そんなところに本当に市場が存在するのか。反対意見が噴出です。今いるのは互いにノンガードで殴り合う血まみれのレッドオーシャンだけれど確実に市場はある。向こうは血の流れていないブルーオーシャンかもしれないが市場になるかどうかわからない。ロジカルな分析では答えは出せません。

それでも腹をくくったのは、この方向性は絶対に正しいという自分なりの自信があったからです。なぜわれわれはゲームをつくるのか。関西風にいえば、1人でも多くの人にウケたいからです。人が喜んでくれるのがたまらなくうれしい。世界中どこへ行ってもニンテンドーで働いているといえばわかってもらえる。それが生きがいです。ところが昔は笑ってくれたネタに笑ってくれなくなった。それはものすごい違和感でした。ならば別の方法を発明すべきではないか。