そもそもこのような考えは、感染拡大を抑えるための「知事の行動」について無理解極まりない。

感染拡大を抑えるためには、実際に感染が発生した店だけを休業させるだけでは不十分だ。実際の感染が発生した店が所在する「一定の地域の」特定業種の事業者について、感染が発生していようが発生していまいが、対策を講じていようが講じていまいが、ピンポイントに一律に休業させることが感染拡大抑止の大原則である。

今は、知事がこのような行動をとることのできる法律の根拠がないので、だからこそただちに新型インフルエンザ等対策特別措置法(特措法)の改正が必要だと考える。国会議員は優雅に夏休みなんかとらずに、臨時国会を開けっていうの!!

このように、実際に感染を発生させていない事業者に、またしっかりと対策を講じている事業者に対しても、感染拡大を抑えるために休業させるのであれば、ここに補償が必要なのは当然だ。

(略)

休業要請に補償は不要だという人たちの主張を聞くと、8月15日のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」の番組内で、国民の悲痛な叫び声を受け止めることのできなかった官僚たちが、民間人への戦後補償を切り捨てたことと、完全に重なり合う。

日本という国は、軍人・軍属・その遺族に対しては、きちんと補償(恩給)を支払った(現在も支払っている)。しかし民間人に対しては、戦争の被害というものは国民全体で我慢するものだ(受忍するものだ)という理屈になっている。

まさに先の高村さんの「休業要請を受けた事業者は受忍限度の範囲内」という言葉と全く同じなんだよね。

民間人に戦争被害の補償をしなかった日本

軍人・軍属・その遺族には我慢させない。

NHKスペシャルを見る限りは、軍人・軍属・その遺族に戦後補償がなされたのは、単にそれらの利益を主張する政治家・官僚の政治力によるものだった。

補償を民間人一般にまで広げてしまえば、「パンドラの箱を開けてしまう」「財政がもたない」「補償に際限がなくなる」……。このような主張を、当時の官僚たちが口を揃えて言う。

そしてその官僚たちは、どうみても戦後、安定した暮らしを送ることができている。

民間人への補償問題は大きな議論となったようだが、結局、民間人一般の補償は認めないという結論になり、被爆者、シベリア抑留者、沖縄戦戦没者などの一定の者に対して、例外的に限定的な救済措置がとられることになっただけだった。そしてこれらは補償ではなく、あくまでも救済措置という体裁にこだわった。

安定した暮らしを送っている官僚たちに、地獄を見た者の気持ちなどはわかるはずがない。