酢豚と天津丼とレバニラの注文があったらまずつくるのはどれ?
鈴木の解説はこうだ。
「王将が始まった頃、関西でトップブランドの飲食チェーンは餃子の珉珉でした。大人気だったし、おいしかった。
王将は珉珉の餃子を超えるために、値段を安くしてボリュームを大きくしました。そうやって、珉珉に追いつき追い越せとやっていたのですが、あるときから珉珉は店舗の展開を少なくして、餃子をスーパーマーケットで小売りするようになりました。どうしてかって? それは料理人をコントロールすることが難しかったからです。むろん、当時の王将も同じでした。ほとほと手を焼きましたし、困りました」
昭和40~50年代の料理人には遊び人のような人物がたくさんいた。彼らは頑固で、自分だけの味を大切にし、後輩にも料理法を教えようとはしなかった。そして、社長や管理職が勤務態度について、文句を言おうものなら、ぷいっと出ていって、それまでといったような、「庖丁一本、さらしに巻いて~」風の職人がほとんどだったのである。
飲食チェーンは店が増えれば味や量などのバラつきを防がなくてはならなかったが、現場で鍋を振る料理人が頑固なままでは、とてもチェーン化は不可能だった。
そこで、王将はプロの料理人を教育することをあきらめ、大学卒も含めた素人に料理を教え、チェーン化を図ったのである。素人の料理人は最初のうちこそ調理は下手だ。しかし、客の食べおわった皿を片づけたり、客に挨拶したり、水を持っていったりという職人の料理人が絶対にやらないことも嫌がらない。接客の人間が忙しければ手伝うし、洗い場が立てこんでくれば、皿洗いもやる。飲食の世界で、「何でもこなす料理人」を育成したことは、実は革命的なことだったのだ。
「今では料理人、サービス、洗い場の兼務だけでは駄目だと言ってます。従業員はすべからく、調理のできる経営者になるべしと指導しています。売り上げ数字を自分で策定し、コストも計算して、人員配置もできる。これからの王将の従業員は全員、経営ができなければならない」
3番目のイノベーションは他の飲食チェーンとは調理法が異なっていることだ。日高屋、幸楽苑、バーミヤン、そして、マクドナルドなど、さまざまな飲食チェーンと王将の調理法は決定的に違っている。