中国というフランケンシュタイン
演説の場には、ニクソン大統領図書館・博物館(Richard Nixon Presidential Library and Museum)を選び、1989年の天安門事件当時の民主運動家を招待客として迎えた。故ニクソン大統領は1972年の電撃的な米中接近の立役者であり、それ以降、旧ソビエト連邦と対峙する米国は対中協調路線を継続。米ソ冷戦が終わり、天安門事件という大きな悲劇を経ても、米国は「共産主義国家はそのうち民主主義国家に生まれ変わる」という楽観論をベースにしばしばバックアップしながら中国と付き合ってきた。
だが、数十年を経て、中国は急激な経済成長とともに経済・軍事のパワーを着実に拡大させ、覇権国・米国にとって代わる野心を隠さなくなった。晩年のニクソン氏が抱いた「我々は中国というフランケンシュタインを造ってしまったのかもしれない」という危惧が現実のものとなってしまった。
遅まきながら米国は、中国には前述のような“民主化の法則”がてんで通用しないと悟ったようだ。中国が「コロナウイルスの発生元が米国発である可能性」を示唆すると、トランプ大統領の態度は豹変、さらに今回のポンペオ氏の演説によって、50年来の方針を大転換するという明確なシグナルを北京と世界中に送ったのだ。
「中国に同情や支持を示す国はひとつもない」
こうした米国の「本気度」は、直近の矢継ぎ早の施策からもうかがえる。中国の通信大手ファーウェイに対する強硬措置、南シナ海での日米豪の共同訓練、さらに突然、テキサス州ヒューストンの中国領事館に閉鎖命令を出し、数人を拘束するなど中国のスパイ網の摘発を始めたもようだ。中国も猛反発して、四川省成都の米国総領事館の閉鎖を命じたが、今のところ米国の攻勢のほうが際立っている。
中国にとって、米国の豹変は想定外だったかもしれない。タカ派の中国軍人として知られる中国国防大学戦略研究所の戴旭教授は、「中国に対する米国の怨恨の予想外の大きさ」に驚きを示しつつ、米国が国内で一糸乱れぬ統一戦線を構築したことと、その手段の情け容赦のなさを指摘し、それに対して「中国に同情や支持を示す国が一つもない」ことを嘆いている(中央日報7月21日)。
この大規模なチキンゲームは当面続きそうだが、米国は他の民主主義国家群とともに、「中国包囲網」を着々と敷きつつある。日本がこの包囲網の一角を占めるのは、誰がどう考えても必然だ。それが、この先日本が習近平を顔色なからしめるための最低限の条件である。その算段の参考となるのは、オーストラリアだ。