恐怖心の中身は大きく分けて3種類

僕は試合が怖い。

試合が決まる前から恐怖感を抱えて生活を続けている。その恐怖感は、試合まで何日あるのかによって変わってくるけれど、その日が迫ってくるほどに高まってくる。

恐怖感の中身を自分なりに分析してみると、大きく3種類に分かれる。

1つ目は、メンツが潰れる恐怖。

自分が負けるということもそうだけど、負けて何かを失うことが怖い。これは格闘技選手の誰もが持っている怖さだろう。とくに「自分に注目が集まっているのに負けてしまう」という状況を想像するとなおさら怖くなる。

2つ目は、物理的に傷つけられる恐怖。

格闘技の試合はケガは付き物だし、運が悪ければもっと危険な状況に陥ったりする可能性もある。これが、本能に訴えかけてくるたぐいの一番強烈な怖さだと思う。

3つ目は「実力が出せなかったらどうしよう」という不安が混じった恐怖。

試合が決まってからは、これらの恐怖が3本立てで攻めてくる。常に追い詰められた状態になる。

でも、逆に恐怖感が芽生えることもある。この3種類とはまったくの別モノだ。例えば、試合が決まっていない時期。もう自分は必要とされていないんじゃないか、という恐怖感をおぼえる。試合が決まりそうで決まらないモヤモヤした時期も、かなりストレスが溜まる。僕へのオファーは最終的に来るのか、来ないのか……そこに恐怖を感じるのだ。

試合は自分にとって何よりの快楽

この感情は仕事をしている人、とくに僕みたいにフリーランスとして働いている人なら、よくわかるんじゃないかと思う。

新たなオファーが来ないと、必ずこう思ってしまう。

「ひょっとして自分は、世の中から必要とされてないんじゃないか……」

むしろ試合を控えた状況で感じる恐怖感よりも、よっぽど恐ろしいことかもしれない。

そんな気持ちでいるときに「次の試合が決まった」との連絡があることは、非常にありがたいことだ。でも、そうなればなったで、それまで持っていた自分が必要とされていない恐怖感が消える代わりに、試合への恐怖感が少しずつ醸成されていく。面白いものだ。

試合本番が刻々と近づいてくる中で、恐怖にとらわれた僕は、こんなことをよく考えてしまう。

規定体重まで落として、計量をクリアしなければ試合には出られない。じゃあ、逆に規定体重まで落とさなければ、試合をしなくても良くなるのでは……。

そんな気持ちに苛まれても、逃げるわけにはいかない。試合は怖いけど、試合をしたいという思いは強く持っている。これって矛盾するようだけれど、試合は僕にとって何よりの快楽でもあるのだ。