「そんなの知らねえよ」と開き直れる人間こそ最強

世の中で一番強いのは、文字通り「無敵な人」。無敵とは、言葉を変えると「失うものを持たない」人だ。

失うものがない人間は何だってできる。背負うものがないからこそ、自分の思うがままに動ける。「そんなの知らねえよ」というマインドで開き直れる人間こそ最強だ。

僕自身は格闘技が好きないち格闘技選手である以前に、勝ち負けが明確につく勝負事が好きな勝負師だと自覚している。勝負師気質が強いのだ。

勝負の魅力は、なんと言ってもこのことが大きい。

「勝つことですべてが肯定される」

基本的に勝者が全部持っていくし、勝てばすべてが肯定される。評価もされるし、誰からも文句を言われない。

ただ、格闘技選手と勝負師というのは、本質的にはまったく別モノだ。異なる概念といってもいい。

格闘技はどこまでいってもエンターテインメントの要素が強くなる。

格闘技はスポーツであり、格闘技選手はアスリートだと考える人がいることを否定するつもりはないけれど、格闘技選手にはある種のタレントとしての側面もあるからだ。

敗者にスポットライトが当たることもある。自分の言葉で敗北までの「物語」を紡ぎ、それを試合でも表現して見る者を熱狂させ、巻き込んできた敗者は、時に勝者を食ってしまうのだ。

ただ、この世界はやはり、勝ち続けることで自分の立ち位置が作られていく。

勝つことで救われる人は多い。僕自身もまさに勝つことにこだわって、勝ちを重ねたことで救われた人間のひとりだ。

とくに幼少期の僕は、勝負に勝って、他者から認められることでしか、自己肯定感を獲得できなかった。落ち着きがなく、周りの子たちとケンカばかりしていた僕は、ずっと問題児扱いをされてきた。明らかに「普通」や「標準」という枠の外にいた。

勝つことで自分の置かれた立場に派手な掌返しが起こる

そんなはぐれ者のように孤立していた僕が、自分の居場所を得られたのは、小学3年生から始めた柔道がきっかけだった。そこで勝つことを経験してから、勝つことで自分の置かれた立場に派手な掌返しが起こることを知った。

勝つことは気持ちがいい。

今でも覚えているのは、柔道を始めた当時、初の試合に臨んだときのことだ。

試合前はものすごい恐怖に押しつぶされそうになっていたのだけれど、相手と組んでからの僕は必死に動き回って、気付けば勝ち名乗りを受けることになった。そこで僕はこう思った。

「白黒付く勝負って面白いんだな」

すぐに「また勝負したい」と勝負事を欲するようになっていったのだ。

このときの思いは、格闘技選手となった今でも変わらない。

ひとつの勝負が終わったら、またやりたいなと思うし、勝負事から降りたいと考えたことはない。僕は死ぬまでずっと勝負師として生きるのだろう。