SVの法的な問題点は主に2つ。まず、自宅の様子が公開されるという「プライバシー」の問題。人格権と直結する大切な概念だが、公道から見える建物の外壁や、庭を囲む柵などの撮影については、プライバシーを持ち出しづらいのが現状である。室内の様子が写りこまない限り合法といえよう。ただ、自宅の外観も、他の情報と組み合わせて個人が特定できるなら「個人情報」であり、個人情報保護法に反すると指摘する余地はある。

一方で、顔を撮影するという「肖像権」の問題。人の容貌も、原則として本人の許可なく記録することはできない。その了解を得なければ、被害者が慰謝料を請求する理由としても十分。SVのプロジェクトには、肖像権と対峙できるほどの重要な社会的意義(報道・言論の自由など)が託されているとも思えない。まして、窓際で着替えている様子や、ラブホテルから出てくる男女を、その容貌が判別できるかたちで公開するなどは、プライバシー侵害とも結びつき、SVの不法行為性の疑いはより色濃くなる。「世界をデータベース化する」目的で設立されたというグーグル社にとって、SVの開発は、その旺盛な征服欲を考えても自然の流れだったのだろうか。しかし、科学技術が力を持ちすぎる時代こそ、技術者は「公益性」を意識できなければ、世間から尊敬はされまい。「Google」と書かれた小さなステッカーをボディに貼り、屋根から1メートルほどのアンテナが伸びているクルマが各地で目撃されている。SV用の画像収集車両とみられているが、そのアンテナの先端のカメラで自分の姿が撮影されている事実など、通行人全体の何割が認識しうるだろう。

たしかに、SV機能を借りるかたちでの、新たな事業の胎動もあるようだ。そうした自由な事業活動の未来を確保すべく、法規制の声が出る前に、いちはやくグーグル社には、SVを自主規制する方向性を模索していただきたいと願う。

(ライヴ・アート= 図版作成)