山口家の複雑すぎる人間関係

山口さんには、兄(38歳・教員)と姉(33歳・摂食障害により入院中)がいる。兄は、2年前に山口さんから母親が認知症になったことを聞いたとき、「母さんという存在は、ずっと元気でいるものと思っていた」と、ひどく驚いていた。

「母は、兄には暗い顔を見せたり愚痴を言ったりしたことがないので、兄がそう思うのも仕方がないのかもしれません。兄はずっと家の中の独裁者で、激昂すると手がつけられないところがあり、私もずっと怖くて苦手でしたが、母が認知症になったことを知ったときから、少しずつ変わり始めました」

それまでは同じ栃木県内にいながらも母親や姉など家族を顧みることは一度もなかったが、通院や要介護申請の面談など、要所要所で家族の用事に時間を割いてくれるようになった。

「兄は、『施設入居にかかる費用は負担する』と言ってくれたのですが、当時母はまだ要支援1。要支援1でも入所可能な施設もありましたが、認知症患者は受け入れられないところが多かったのと、母が施設を嫌がり、結局、兄も入所費用面が高いことなどに難色を示したため、断念しました」

老人ホームのベッドルーム
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「問題あり」な兄、姉を持つ次男に居場所はなかった

父は、幼い頃から気性が激しく、横暴な兄に半ば恐れをなし、姉には甘く、やがて実母の介護をするという名目で逃げるようにひとり実家へ移った。一方、小さい頃から終始、甘やかされて育った姉は、反抗期を迎えた頃から、家庭内で傍若無人に振る舞うようになった。

そうした「問題あり」を抱える兄・姉の下、末っ子の山口さんは、両親に甘えたり反抗したりできないまま育った。賃貸アパートの狭い実家に居場所はなく、母方の祖父母の家で過ごすことも少なくなかった。

「母は何かにつけ姉を心配するので、どんなに私が母の世話をしたとしても、結局母の中の私の優先順位は最下位なのかなとむなしくなります。まだ母が認知症になる前、帰省する度に、母のためにお金を渡して帰りましたが、それらが、後で、姉のスマホゲームの課金代に消えたことがわかった時は本当にやるせなかったです。ゴミ屋敷状態になっていた実家も私一人で片づけましたが、母の日や誕生日に私が贈ったプレゼントが未開封のままゴミの中に埋もれており、その都度自分なりに悩んで選び、心を込めて贈ったものが母には伝わっていなかったのだと思うと、悲しくなりました」

母親は、兄が生まれる前に幼くして2人の子どもを亡くしていたことから、「子どもは生きていてくれさえすればいい」が口癖。手先が器用で、幼少期は洋服を手作りしたり、手の込んだ料理を作ったりしてくれた。

「私は毎朝仏壇に向かって手を合わせる母を見てきたので、苦労をかけられないと思いながら育ちました。母は私にとって守るべき存在で、早く自立して親孝行したいと思っていました」

山口さんは、父親には母親が認知症だということを伝えたが、「自分の妻が認知症になったことを認めたくない」ため、最初は母親を病院に連れていくことさえ反対した。最近は「妻に忘れられてしまうのが寂しい」とは言うものの、「親の介護は子どもがするもの」という考えにより、経済的にも物理的にも父親からの手助けはない。