遠距離介護から、母親との同居介護へ

これを受けて、山口さんは帰省の頻度を増やした。2、3カ月に1回から、月に2回へ。働きながら、母親の元に戻って遠距離介護するようになった。自分が面倒を見ることができない日に関しては訪問介護を受けようと考えたが、訪問介護士が契約に来た日に、母親が「自分の身の回りのことはまだ自分でできる」と言ってかたくなに拒否した。

山口さんは遠距離介護の限界を感じ、2018年3月、休職することを決意する。介護100%の地獄のような生活に突入したのだった。

母親と姉が長年暮らしていた賃貸アパートは、ゴミ屋敷と化していたため、蓄積していたゴミや家財を分別・処分し、滞納していた家賃や光熱費をすべて精算した。

この頃母親は、料理ができなくなり、固いものは細かく切ったり、やわらかくなるまで煮こんだりしないと食べるのが難しくなっていた。また、入浴したがらなくなり、デイサービスで体を洗ってもらっていた。

山口さんは、日に日に症状が悪化する母親を目の当たりにして、「介護度が一番低い要支援1でこれだけ大変なら、これからどうなるんだろう」と絶望的な気持ちになったのを今もよく覚えている。そして同年7月、「さすがに要支援1ではないだろう」と思い、介護度を再審査してもらった結果、10月に要介護3と認定された。

高齢者手
写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn
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コツコツ貯めたお金を中古マンション購入に充てた

この結果を受けて11月、山口さんは兄と同じ市内に中古マンションを購入。兄に母親を説得してもらい、賃貸アパートを引き払って、その中古マンションに母親を引っ越しさせた。

「祖母が住んでいた母の実家へ移るという選択肢もありましたが、山深く不便だったため、介護を要する人が住むのに適した地域で暮らしたほうが良いと考えました。母は、60半ばでデイサービスに通うことに抵抗を感じていましたが、引っ越し先には顔見知りがいないため、かえって気が楽だったようです」

マンションの購入費は、山口さんが全額負担。就職して以来、コツコツ貯めたお金を充てたため、通帳の残金は微々たるものとなった。