緊急事態宣言入り「遅かった」が81%だった
では、4月7日以前にこの「減少傾向」を察知し、緊急事態宣言をせずとも「実効再生産数」のグラフが必ず下降し続けることを保証できたのだろうか。
当時の国内の空気がどうだったかを、少し振り返ってみよう。発令3日後の10日に安倍首相はジャーナリストの田原総一朗氏と面会、「実は、閣僚のほとんどが(宣言発令に)反対だった」と述べたという。ただ、その理由は「自粛不要論」ではなく財政危機論。緊急事態下では100兆円規模の経済対策が必要とされるため、そんなことは無理だというとらえ方が大半だったことによるという。
しかし、世間の空気は、それとは正反対だった。3月2日に安倍首相が小中学校の一斉休校を発表した頃は拒否反応が目立ったが、同25日に小池百合子東京都知事が都内で感染者が多数発生したことを受けて「感染爆発の重大局面」と表現、自粛を強く求めたことと、同29日にタレントの志村けんさんが死去したことが大きく影響した。
宣言発令直後の4月11日~12日に読売新聞が行った世論調査によれば、緊急事態宣言を発令したタイミングが「遅かった」と答えた人が81%と圧倒的。同14日の衆院本会議でも、野党議員が「遅すぎた」と安倍首相を批判する場面があった。
トランプ米大統領が経済活動を再開した理由
もちろん、これは多数決で決める類の事柄ではない。しかし、相手は現在よりまだ正体がはっきりしなかった新型ウイルス。確かな特効薬も不明で、ワクチン開発はまだ遠い先だ。そのさなか、これだけの空気に囲まれ、しかも刻々と状況が変わる“ライヴ”のさなかで「自粛は効果がない」と見切って緊急事態宣言を見送る、もしくは途中で解除するという決断は、どんな豪胆なリーダーでも難しかったのではないか。情報も限られ、周囲のプレッシャーに晒され、旧態依然の制度や仕組みに足を取られつつその場、その場で最善の判断を下す難しさは、はた目からは分かりづらい。
感染すると死に至る危険のある高齢者と基礎疾患を持つ患者のみを自粛させ、「感染しても死ななければいい」として経済活動を通常に戻せ、との主張は一定の説得力がある。ただ、仮に4月にその決断を下すのなら、新規感染者がもっと増え、医療関係者の負担も増えるという危惧は消えていなかったはず。目の前で苦しむ感染者について、医療関係者が「この人は若いから死なない」「この人は年配だから危ない」と区別して治療に当たれるものなのだろうか。それに死者が少ない理由がはっきりしない以上、何かを契機にまったく違う様相となる可能性も考えなければならない。
しかし、やはり感染予防一辺倒ではそれこそ本当に国や企業、国民の息の根が止まる。トランプ米大統領は5月、「死者は増えるだろう」「これまで私自身が下さねばならなかった決断で最大のものだ」としつつ、それでも経済活動を再開させた。選挙対策云々と紋切り型の批判も多いが、そうしないと、目下のライバルである中国と先々張り合うことができなくなる。安倍政権も遅まきながら、その路線を後追いしているようにも思える。結局は当事者にその場、その場で命と経済の最善のバランスを取ってもらう、としか言いようがないのだ。