一時の熱に浮かされ、日本人はストライキを打ったのです。インド人もストライキをしたり、暴動をしたりしましたけれど、これもまた、「はしか」だった。インド人もはしかにかかり、そうして治癒したら、落ち着くところに落ち着いたのです。

私は「はしか」にかかった日本人を見た経験があったから、ストライキのときに言いました。「慌てなくていい」──インド人は農耕民族で工場従業員として働く経験がなかった。だから、工場労働についてよくわからないから騒いでいるんだ。放っておけばいつか終わる。

案の定、ストライキから3カ月経ったとき、3000人中1500人のワーカーが職場に戻ってきました。私は彼らに誓約書を書いてもらってから、工場に受け入れました。ストライキや暴動は、「はしか」にかかった日本人と一緒ですよ。歴史は繰り返すとはよく言ったものだと思いました。

モディ首相「いつインドに引っ越すのか?」

結局、インド社会にスズキが受け入れられたのは、最初から第三者ではなく、評論家でもなく、当事者として入っていって、言うことは言って仕事をしたからでしょう。分け隔てはしたことがない。ですから、インド人は私のことを仲間だと思っていますよ。

グルチャラン・ダスさんは、『日本人とインド人』のなかで私のことを「生粋のマルワリ商人(※)」だと書かれていますが、私はインド人になったつもりで、インドという国を立派な国にして、さらに、みなさんに豊かな生活を送ってもらいたいと思ったのです。

※グルチャラン・ダス氏が「インド人のビジネススピリッツを象徴する存在」と語るマルワリ商人。氏は、トヨタやフォルクスワーゲンが来ないうちにインドに進出した鈴木修会長を、「決して大きな会社に属して働こうとは思っていない。小さくても自分の会社を持つ。しかも、新しい分野に挑戦する」というマルワリ商人の性格になぞらえている。

今の首相のモディさんと会うと、必ず、言われることがあります。

「ミスター・スズキ、あなたはいつ引っ越してくるのか?」

私はモディさんがグジャラート州の首相をやっていた頃からよく知っています。モディさんは経済改革をやってインドを発展させた人で、苦労人ですよ。州の首相時代には浜松の本社に来ていただいたこともあります。本当に苦労を重ねた方でね、インド人の心をひとつにして、インド人が豊かな生活を送ることを願って働いているのが彼です。

モディさん(ナレンドラ・モディ首相)とツーショット
撮影=上野英和
モディさん(ナレンドラ・モディ首相)とツーショット