イギリスの譲歩を引き出すため中国が折れたポイント

(略)

1984年の中英共同声明が一国二制度を約束している以上、それが国際的な約束だ! と単純に叫ぶ者は、一から法の支配と法治主義というものを勉強した方がいい。

法の支配・法治主義とは、定められたルールに盲目的に従うものではない。それは「形式的法治主義」というものである。「悪法も法なり」という考え方で、権力が決めたものに国民は何が何でも絶対的に従わなければならないという思想で、そこに国民の意思は重視されない。まさに権力者視点の思考といえる。

今はこんな法治主義を唱える者は、法律の専門家には存在しない。

ルールの中身をしっかりと考えて、「中身に合理性があるルールに従っていく。それが間違っているなら変えていく」という「実質的法治主義」が当然の法理となっている。

ということで中英共同声明に一国二制度が定められていることはひとまず横に置き、「そもそも一国二制度というものに合理性があるのかどうか」を検討しなければならないが、それはどうか。

合理性なんかあるわけがない。

(略)

本来なら一国二制度など認められないはずである。中国が香港の主権を取り戻すのに、その主権に制約を付けられることがおかしい。

ところが中国はそれを飲んだ。そうしなければ話し合いによって、香港の主権を取り戻すことができなかったからだ。

イギリスは当初、返還期限が決まっていた新界(イギリスの永久領土となっていた香港島や九龍半島に隣接する地域)のみの返還を検討していたところ、中国の当時の最高指導者・鄧小平氏は、「武力行使をちらつかせながら」イギリスに対して強烈に香港の返還を主張した。

これが外交交渉というものである。

イギリスも折れざるを得なかったが、中国も折れた。それが、本来は社会主義体制の中国の主権に服する香港について、資本主義体制を認め、中国の主権の行使に制約をかけるという一国二制度である。

この中国の政治判断は大したものだし、それは民主国家ほど国民の意見に敏感にならなくてもいい中国の体制にもよるものだったと思う。そもそも台湾に完全なる主権を及ぼしたい中国は、台湾に一国二制度を適用し中国の主権に服させるために、まずは香港から一国二制度の第一歩を踏み出すという戦略もあったのであろう。

それにしても、中国のこのような政治判断は見事なものだったと思う。

(略)