英米などによる中国非難声明に発展した香港・国家安全法問題。中国非難声明に日本が参加しなかったことの是非について国内では議論が起きているが、他国の行動に批判を加えるには、同じ理由で自国が批判されないかをきちんと考えておかなければならない。プレジデント社の公式メールマガジン「橋下徹の『問題解決の授業』」(6月9日配信)から抜粋記事をお届けします。

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香港問題の由来を《フェアの思考》で考えてみるとこうなる

中国が香港に国家安全法を導入する方針を示したことに関して、5月28日、米英加豪の4カ国が、これまで香港に認められてきた「一国二制度」の枠組みに反し、香港市民の自由を脅かすものだという内容の非難声明を発表した。

中国 vs 香港
写真=iStock.com/Gwengoat
※写真はイメージです。

その後、日本もこの共同声明に参加するように誘われていたが日本は拒否したと共同通信が報じたことで、日本国内の議論が一気に盛り上がった。「中国許すまじ」の政治家や民間人たちが安倍政権のこの対応を批判したが、自民党の政治家からは「拒否した事実はない」と共同通信の誤報を主張する声も出てきて、この議論はなお続いている。

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メルマガ前号から引き続いて、この問題をフェアに考えてみたい。

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イギリスは、清からの価値ある輸入品を麻薬であるアヘンによって購入し、暴利を貪っていたのである。暴力団やマフィアも真っ青の巨悪行為である。

当然、清は反発する。アヘンの蔓延によりアヘン中毒者が増加し、街は頽廃する。そこで清は、イギリス商人の保有するアヘンを没収・焼却したが、1840年、それに怒ったイギリスとの間で戦争になった。

ちなみにある文献によると、戦争直近では、清の国家歳入の80%相当の銀が、アヘンの代金として国外に流出していたとのことである。

最終的に戦争はイギリスの勝利に終わり、1842年に南京条約が締結され、清はイギリスに対して多額の賠償金を支払うとともに、香港までを渡すことになった。

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そして1984年の中英共同声明によって、香港は1997年に社会主義体制下の中国へ返還されることになったのである。

しかし、イギリス領であった香港は資本主義体制がとられており、この両者のバランスをとるために、香港は返還後50年間は社会主義体制の中国の主権に服するが、資本主義体制は守られるとの合意がなされた。これが香港に一国二制度が導入された経緯である。