「何をやり残したら自分は後悔するだろう」と考えた

——その時点でも、ご自分が家業を継ぐとは考えなかった。

東洋館出版社 社長 錦織 圭之介氏
撮影=プレジデントオンライン編集部

そうですね。ただ、その一方で父はどんどん弱っていくわけです。体重100kgほどだった父が、あっという間に細くなっていった。そして最後はベッドの上で動けないほど衰弱しました。

父はすごく頑張ったんですよ。亡くなったのは60歳で、病気が判明してから5年間を生き抜いた。ただ、自分自身でも日に日に弱っていく過程がはっきりとわかっただろうし、「なんで自分が」という無念さもあったはずです。そして何より、やり残したことがたくさんあったと思う。「あんなこともこんなこともやっておけばよかった」という後悔がきっとあったはずです。

そうやって死と向き合っている人間を間近に見て、私も改めて「自分もいつか死ぬんだよな」と実感しました。そして、「自分が死ぬ時は絶対に後悔したくない」と思った。では、何をやり残したら自分は後悔するだろうと考えると、それは父の出版社を継ぐことじゃないかと思ったんです。

自分がこれまで生きてこられたのは、東洋館出版社という会社があり、そこで働いてくれる人たちがいたおかげです。私は中学から私立に通わせてもらい、そのくせ学生時代はろくに勉強もせず野球ばかりやっていたのですが、そんな好き勝手をさせてもらえたのも父の会社と従業員の存在があったから。その人たちのために自分は何かすべきだし、それをやらずに死んだら間違いなく後悔するだろう。それで家業を継ぐことを本気で考え始めました。

三菱商事の退職を決断させたのは、東日本大震災だった

——それでも商社は魅力の多い仕事にみえます。一方、出版業は斜陽です。なぜ家業を継ぐことを決断したのですか。

商社での人生は本当に充実していたし、会社というフィールドを使ってやりたいことがやれるというオポチュニティの多さも魅力でした。でも父が段々と弱っていく中で、2011年3月に東日本大震災が起きた。同年9月に三菱商事を退職したのは、震災がきっかけでした。

出版業界が右肩下がりであることは知っていました。でもその時は、ダメならダメでいいと思った。倒産するならしてしまえ、というくらいの気持ちでした。それを恐れてチャレンジしなかったら、死んでも死に切れない。そんな人生を送るくらいなら、たとえ失敗しても父の会社を継いだほうがいい。そう思いました。

もちろん商社にもやり残したことはあるし、正直に言うと、今でも戻りたいなあと思うことがあります。でも、これもひとつの人生ですから。