※本稿のインタビューは2020年3月6日に収録しました。
祖父と父から「家業を継げ」と言われたことはなかった
——錦織さんは東洋館出版社(東京・文京区)の3代目ですね。家業を継ぐことは、いつから意識されていたのですか。
父の病気がわかるまで、まったく意識していませんでした。この会社は私の祖父が創業し、父が2代目でしたが、二人から「家業を継げ」と言われたことは一度もありません。
——新卒で三菱商事に就職されています。
就職活動では「自分のやりたいことができる会社に入りたい」ということしか考えていませんでした。私は「社会に貢献できる仕事がしたい」という思いが強く、金額に置き換えて、最大の社会貢献ができるものはエネルギー関連だと考えました。
中東の産油国は、消費税がなかったり、医療費や教育費が無料だったり、手篤い社会保障を提供していますが、それが可能なのは自国に資源があるからです。ならば日本やその周辺にある資源を新たに実用化できれば、この国はもっと豊かになる。そのために「メタンハイドレート」の実用化を仕事にしたいと考えました。採用面接でもそのことばかり話しました。
父の病気をきっかけに、商社の仕事がますます楽しくなった
——三菱商事に就職が決まったとき、お父さまはどんな反応でしたか。
実は父もかつて商社勤めをしていたんですよ。そして40歳で会社を継いだ。父も商社での生活が楽しかったようで、私に対しても「就職するなら商社がいいんじゃないの」という感じでした。
三菱商事に入社後は、まず数字を読めるようになりたいと思い、最初の2年間は経理を経験させてもらいました。その後エネルギー部門の営業に移って念願だった資源関連の仕事に従事し、毎日本当に楽しく仕事をしていました。
ところがそんな時、父が病に冒されているとわかったのです。5年生存率が数%と言われる膵臓がんでした。それが2007年のことで、父はまだ55歳でした。
その病名を聞かされた時、自分の中で何かが変わったんです。それまで父がいるのは当たり前で、その大きな存在に守られている感覚があった。ところがその父がいなくなるかもしれないと思った瞬間に、「自分は一人で生きていかなければならないのだ」という自覚のようなものが生まれた。そして商社の仕事に対しても、初めて本気になれたんです。もちろんそれまでも真面目にやっていましたが、真剣さの度合いが上がって一層仕事にのめり込んでいくような感覚があった。だから変な話ですが、父が病気になったのをきっかけに、私自身は商社の仕事がますます楽しくなっていきました。