政治について発信するタレントに対して「もっと勉強しろ」などというバッシングも見かけますが、勉強をするもしないもいわばその人の勝手です。「政治的な意見を言う」前に一つ義務があるとしたら、「投票権がある人は投票に行く」ということぐらいでしょうか。

「意見を持つ」ことを教えるドイツの学校

日本の学校では先生の中立が重んじられるあまり、生徒と先生の間で政治的な議論や意見交換がされていません。

長年の学校生活、そしてその後の社会人生活においても、気軽に政治の話をすることはほぼないため、「政治については語らない」が日本では暗黙の了解となってしまっています。だから、歌や演劇などの分野で活躍する芸能人が「政治」について語ると、違和感を持ってしまうのではないでしょうか。

実はドイツの学校でも先生の中立が求められていますが、その中立は日本でいう中立とはだいぶ違います。ドイツの政治教育の目標は生徒が「政治の知識だけを身につけるのではなく、政治について自分の意見を持てるようになること」です。

そのため先生には「生徒の意見を引き出す役目」があります。「生徒が自分の意見を言うこと」が優先されるため、生徒が受動的で自分の意見を言わない場合、先生があえて自分の意見を述べることで議論の活性化を図ることがあります。

もしも生徒の意見がどれも似たようなもので、意見に多様性が見られない場合は、先生があえて反対意見を言い、生徒たちに反論の機会を与えることもあります。逆に生徒間でさまざまな政治的意見が飛び交い議論が活発になっている場合、先生は自分の政治的な意見を言うことはありません。

日本でいう先生の政治的な中立というのは「先生が政治に対する自分の考えを生徒の前で言わないこと」ですが、ドイツにおける中立とは、先生が教室でさまざまな意見が飛び交う環境を作り上げることなのです。

ドイツにおける政治教育の基本原則「ボイテルスバッハ・コンセンサス」

ドイツの学校の政治教育は「ボイテルスバッハ・コンセンサス」の基本原則に沿って行われます。

1970年代に政治教育研究者らがまとめたこのコンセンサスの原則には、

① 圧倒の禁止の原則:教師は期待される見解をもって生徒を圧倒し、生徒自らの判断の獲得を妨げることがあってはならない
② 論争性の原則:学問と政治の世界において論争がある事柄は、授業においても論議があるものとして扱う
③ 生徒志向の原則:生徒が自らの関心・利害に基づいて、効果的に政治に参加できるよう、必要な能力の獲得を促す

とあります。

日本の学校現場では「中立」を大事にするあまり、学校や先生が「政治には触れてはいけないもの」という雰囲気が作り上げられているのは大きな問題です。民主主義の社会にふさわしい大人を作るためには、学校で生徒間の活発な議論を促すことが大事です。