生き残るために「同質的な仲間」を集めたい

もうまもなくやってくるであろう、社会的・経済的・政治的混乱と停滞に備えて、自分の周囲を「より同質性の高い味方」で固めておくことにはたしかに一定の合理性がある。厳しい環境下では「より信頼のおける仲間」をできるだけ多く獲得した者の方が、生存確率が高まるためだ。「~~について賛成か反対か、支持か不支持か態度をはっきりしろ」というネット上の大きなうねりは、これまで自分の周囲にいた人々がコロナ後の世界でも「より同質的かつ信用できる仲間たりえるかどうか」を多くの人が急ピッチで見極めようとしているからこそ生じている。

なおかつ、いまは物理的に他者に会えない時間が長いため、SNSにアクセスする時間が長くなっている人は少なくない。「他の人がいま何を考えているのか」を知るための手段として、実際に会って話をするのではなくSNS上のコミュニケーションに頼っているからこそ、今回の拡散がさらに促進されたと考えられる。

コロナ・パニックが社会的にも政治的にも経済的にも、長期的な混乱をもたらすことが必至となっている以上、今後しばらくは、お互いを敵か味方か厳しく峻別するような「友敵理論」が社会に頻繁に登場することになる。いまあなたが、SNSに言い知れぬ閉塞感を覚えているのであれば、これがひとつの理由だ。

しかしながら、こうした世間の潮流は「生き残りのために、同質的な仲間を集めたい」とは、別の動機にも裏付けられている。

——それは「教えたい」「変えたい」だ。

「人を教え、人を変える」ことで自分の価値を確認する

——人は不安に呑み込まれて心身ともに弱ると、ふさぎ込むばかりではない。だれかに教えてあげたくなる。そして、だれかを変えたくなる。自分が抱いている不満や怒りを表明し、賛同者が集まれば、自分はただしいのだと確信することができるからだ。

だれかになにかを教えて、だれかを変えたくなる。自分のなかにある不安を親切心だと置きかえて、なにも知らない「昨日までの自分」と同じ姿のだれかに近づいていき、「気づき」を与えてあげたくなる。社会や経済が混乱し低迷していくなかで、余波を受けた自分もまた力や自信を失っているが、それでもなお、自分には力がまだ残されていると確認したいからだ。

「教えてあげる」「変えてあげる」、あるいは「自分の意見や行動に賛同者が集まっていく」ことを通して、だれかに影響できるだけの力がまだ残されているし、だれかに信じてもらえるだけの信頼があるし、なにより自分にはまだ価値があるのだと確認できるのだ。

世の中や暮らしが劇的に変わっていくなかで、自分ではどうすることもできない無力感に毎日苛まれる。不満や苛立ちをどこにぶつけたらよいのかもわからない。自分が苦しんでいるとき、不安に押しつぶされそうなとき、耐え難い痛みに呻き苦しんでいるときにこそ「自分によって変えられた他人がいる」「自分に賛同してくれる他人がいる」という事実の味はたまらなく甘美なものになる。自分の存在価値を回復してくれる。自分のいまの考えは間違っていないのだと勇気づけられる。忘れられないほどの味わいである。たくさん果実を集めて、いくらでも食べたくなる。