さながら「オンライン抗議集会」だ

現在では検察庁法改正案に話題を限定せず、なおかつ政治的な左右のスタンスや賛成も反対もかかわりなく、「~に抗議します」だけでなく、類似の構文を使った(いずれも政治的な主義主張を前面に押し出すことでは共通している)ハッシュタグがさまざまな陣営から発信され、さながら政治的闘争の様相を呈してきている。

この大きなトレンドの波については、なんらかの政治的な「仕掛け」があったのかもしれないが、だからといっていわゆるスパムやbotなど、発見されるリスクが高くなおかつ発見された際のダメージが大きなものの類いではないと推測している(※)。しかし今回の主旨とは逸れるので脇に置く。

※ 参考:「検察庁法改正案に抗議します」に投稿されたのは「ほとんどがスパムツイート」だったのか?(ねとらぼ、2020年5月12日)

いずれにしても、突如として人びとの間に湧出した「賛成か反対か、支持か不支持か態度をはっきりしろ」と言わんばかりの雰囲気に呑まれた人は多かったようだ。正直なところ、戸惑った人は多かったのではないだろうか。

賛否を求めるのは「つながり」を再編成するため

近頃のSNSを開けば、だれもが「ご意見番」になっている。「あなたはこれについて、必ず意見表明をしなければならない」と言わんばかりの威圧的な雰囲気が、どこからともなくやってくる。そればかりか、意見表明をしないと「お前は敵か?」と凄まれることも珍しくはないように見える。

それにもかかわらず、自らの意見をはっきりさせなければならない明確な理由が説明されることはほとんどない。ただなんとなく、だれもが意見を明確にしなければならないかのような同調的な圧力に呑まれているのだ。

2011年の光景がデジャヴする。あの時もそうだった。未曽有の大災害・原発事故の衝撃が社会を大きく動揺させ、これまで疑う余地もなかった「ただしさ」の永続性が損なわれたとき、多くの人をゆるやかに統合していた「ただしさ」が失われたことで、人びとは些細な価値観や社会観の違いを許容できなくなっていった。

世の中の問題はたいてい複雑系である。単純にその場の雰囲気や感情的好悪で直感的に態度を表明するべき事柄は少ない。単純な解答を即時的に見出せないにもかかわらず「~~について賛成か反対か、支持か不支持か態度をはっきりしろ」というイチゼロの問答がSNSに広がっていくのは、人びとがより同質的な人間同士で「つながり」を再構築・再編成しようとする動きが急速に進んでいるからだ。

「大同小異」——すなわち「大筋で合意できていた」ことによって友好的に結ばれていた人たちにとって、その「大筋(大同)」を支えていた社会の安定性が吹き飛んでしまったら、どうなるかは想像に難くない。これまで「大筋」の枠組みで結ばれていたからこそ気にするまでもなかった「価値観の違い」「職業の違い」「貯えの違い」「住む街や地域の違い」などの相違点によってたちまち大きな亀裂が入り、社会に分断が生じる。