そもそも政治に対する評価として、大多数の国民の直感というものは概ね間違ってはいない。この点について何か科学的な根拠があるのかと言われればそれを示すことはできないが、僕が8年間政治をやってきた経験に基づく感覚だ。

様々な人生経験と価値観を持っている国民。その国民が数千万人集まって、ある政治的な事柄について直感的に判断する。

この判断と、特定の学者や政治評論家が、部屋に閉じこもって本を読みこんで得た知識を基に、頭の中でこねくり回した判断。

どちらの方が、より「まし」か。

僕は前者だと確信するね。

もちろん、国民の判断だって間違うことはある。しかし学者や政治評論家でも間違うことはある。

絶対的に正解しか言わない者などこの世に存在しない。だから政治の評価を下すには、僕は国民大多数の直感的判断の方が、一人のお勉強家の判断よりも「まし」だと感じる。そして仮に国民大多数の直感的判断が間違っていれば、後に修正すればいい。

今回の検察庁法改正問題に関しても、政治評論を生業にしていない者は、たとえ検察庁法改正案を詳しく勉強していなかったとしても自分の意見を堂々と言い続ければいいと思う。当然、反対意見の者から批判されるだろうし、ちょっと知識を持っている者からは、「もっと勉強してこい!」 と言われるかもしれない。

しかしそれに負けずに、自分の意見を述べ続ける。そして色々な人たちから指摘を受けて「自分が間違っているな」と感じれば修正する。その繰り返しによって国民による政治判断の力がレベルアップし、その結果日本の政治もよくなると思う。

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吉村知事の活躍と大阪の民主主義のレベルは連動している

僕は、このような有権者同士が激しく政治的見解をぶつけ合う必要性を政治家時代ずっと言い続けてきた。

今、新型コロナウイルス感染症対応に関して、吉村洋文大阪府知事が全国的に大変な高評価を得ている。

もちろん、それは彼の実力がいかんなく発揮されていることによる。

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ただし、彼もこの点は十分にわかっていると思うが、このような吉村知事が誕生し、彼がこのような政治家になったのも、大阪府民の民主主義がレベルアップしたことに連動している。

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