菅長官のたたき上げ人生

菅官房長官は、秋田県から高校卒業後に集団就職で上京しており、段ボール工場で働いたところからキャリアをスタートした人物である。2年後、法政大学に苦労して進学し、防災インフラ会社に就職し、政治家を志して小此木彦三郎議員の秘書を11年間務めている。たたき上げで政治家の秘書を務めることは精神的・肉体的な苦行が伴うため、筆者の所感では多くの人は3年持たない仕事だと思う。

その後、同氏は横浜市議会議員として辣腕らつわんを振るい、地方議員出身のたたき上げの国会議員として当選した。郵政民営化では総務副大臣として政治的な難事業に取り組み、現在に至るまで実務力を必要とする数々の要職を担ってきた実績を持つ。

そのキャリアは常に裏方で政権を支えるポジションを担ってきたことから、国民からは同氏の歩みが注目されることはほとんどない。しかし、現代日本の立志伝中の人物と言えば、「菅義偉」であることは議論の余地はないだろう。

安倍首相がやり残した政治課題

現在の安倍政権においても、政治的立場によって賛否はあるものの、様々な政治的危機に対して鉄の壁を築いてきたのも菅官房長官である。ところが、今回の一連の危機管理から、菅官房長官は事実上外されているように見える。その上、記者会見では、菅官房長官の意に沿わないであろう他メンバーの場当たり的な対応に対する答弁を強いられて、少々気の毒な感じすらある。

週刊文春2020.5.7・14号には官邸担当記者の話としてこう記されている。

「湖北省の在留邦人の帰国支援のためのチャーター機派遣や、小中高校の一斉休校など、一連のコロナ対策を主張したのが今井氏(今井尚哉首相秘書官)。これまで危機管理をともに担っていた菅氏を、政策決定にタッチさせず、手柄は俺のもの、と言わんばかりのやり方でした」