「長いことチケットセゾンをやってきて、それなりの達成感はありましたが、だんだんと、これはビジネスとしては成立しないなとわかってきた。だってね、16年もやってきて単月黒字は1回だけ。残りは全部赤字ですよ。セゾングループの数ある事業の中でも認知度だけは高くて集客力はあったけれど、ビジネスの旨味は低かった。利益が少ないのは、店舗でチケットを売る商売の宿命でした」
宿命に苦しんでいたのは、チケット販売の最大手、ぴあも同様だったが、チケットセゾンと違うのは、ぴあには利益の出る本業があったことだ。出版事業で得た利益で赤字を補填(ほてん)できるぴあと、補填する術のないチケットセゾン。これでは勝負にならない。
95年に入ると、多額の負債を抱えたセゾングループがあらゆる事業を見直し、儲かっている事業と儲かっていない事業との選別をはじめた。後者に分類されたチケットセゾンは西武百貨店から西友へと移管され、西友の子会社だった出版社・SSコミュニケーションズの1事業となる。西友側には、ぴあのように、チケットと出版事業を組み合わせようという狙いがあったようだ。
だがその目論見がろくに成果をあげないうちに、事態は風雲急を告げる。98年に、ファミリーマートが伊藤忠商事の傘下に入り、チケットの販売先を新たにライバルのぴあに決めたため、チケットセゾンは全国5000店のファミリーマートに置いていた販売拠点を1度に失う羽目に陥る。セゾングループのかつての仲間という「よしみ」など通用しないほど、流通業界は再編の嵐にさらされていたのである。
「販売力=店の数」の業界常識から考えれば、この1件は致命傷だ。チケットセゾンは親(西武)には赤字部門として冷たくあしらわれ、里子に出されて(西友)、味方だと思っていた友人(ファミリーマート)には縁切りされて、「事業としての継続性がない」と烙印を押されてしまった。
しかし、橋本は95年頃からチケットビジネスの新たな可能性を探っていた。他の事業で赤字を補填してもらう必要などない、チケット販売だけで利益をあげる仕組み、すなわち現在のイープラスの原型である。