「医療職は『死んでもしょうがない』と思われている」

医療関係者たちからも悲痛な叫びが上がっている。

医療の現場から」というnoteのブログ(4月9日)が興味深い。ハンドルネーム四谷三丁目が勤めているのは首都圏の「けっこう大きな病院」で、看護師だそうだ。

医療用のマスクは3日で1枚と制限された。そんな中で「交通事故で搬送されてきた患者のCTを取ったら『新型コロナウイルス肺炎像』が写っていた」という。

そこに、安倍政権が数百億かけて全世帯にマスクを2枚配ると報じられた。「四谷三丁目は激怒した。怒りで全身溶けそうだった。(中略)『自分の命が軽視されている』ことにようやく気付いた。(中略)今、この国から、医療職は『死んでもしょうがない』と思われている。そういう扱いを受けている。(中略)HIVだろうと、結核だろうと、どんな感染症も気を引き締めこそすれ怖くはなかった。私はそれを生意気にも『医療従事者としての自負』みたいなもんだと思っていたがどうやら違ったのだ。

あれは、医学的根拠に基づいた万全の対策がとれ、万が一のことがあれば迅速に処置を受けられるという“安心”があってのものだった」

布マスクを配る政府に、プラスチックガウンや手袋不足に対応できるとは思えないとも書いている。

命の選別は、医療従事者だけではない。高齢者にも当然起こっている。世界中の感染現場で、そういう事態が起こっていることを前にも書いたが、今週ようやく、サンデー毎日(4/26号)で保阪正康が「高齢者切り捨てというファシズム」というテーマで書いている。

「まさに『嫌老社会』の到来である」

保阪は、今回の新型コロナウイルス肺炎で、次の2つの黙過できないことが進んでいるという。1つは民族差別や弱者への憎悪(へイト的潮流)、2つ目は、高齢者の切り捨てと治療放棄(人間の差異化)。

ヨーロッパやアメリカで、アジア人が「コロナ野郎」といわれ暴力を振るわれる理不尽なことが起きている。

高齢者の切り捨てはいうまでもない。保阪は、「『楢山節考』(老い先短い老人を山に捨て、老人の生を犠牲にして若者たちが生き残るという姥捨て伝説=筆者注)が現代の光景になるとき、私たちの社会は豊饒さを失い、弱者や痛みを抱えた存在への配慮をなくし、『役立つこと』だけが価値基準の最先端に置かれていくことになるだろう」

その最も分かりやすいのが「安倍晋三首相の思考、発言、歴史観である」と指摘している。

五木寛之は週刊新潮(4/23号)の連載コラムで、「以前、マンガで『老人駆除部隊』の話があったのを思い出した。『嫌老社会を超えて』という本を出したのはその頃である。『嫌老』という見えない世の中の空気に触発されてつけたタイトルだが、あまり話題にはならなかった。(中略)ネットで話題の三コママンガに、高齢者をかついで青息吐息の若者たち、そして次がコロナで一掃される高齢者層、最後が残った若者たちが万歳しているのがあると聞いた。まさに『嫌老社会』の到来である」