「花見をしている人たちがいる」と110番が相次ぐ

そこに、感染対策の致命的な遅れをマスク2枚と饒舌でごまかそうとする安倍晋三首相が、非常事態宣言なるものを発したから、熱しやすい国民は一億総火の玉となった。

花見はダメ、3人以上の集会は自粛、居酒屋は午後7時以降は酒を出すな、不要不急の外出はするなと、戦時体制もかくやと思わせる、不自由を国民に強いている。

NHKをはじめとする各局ニュースは、「今日はどこどこで何人感染者が出ました」という大本営発表を流し、自粛しないものは非国民といわんばかりである。

私は1945年(昭和20年)11月生まれだから、かろうじて「戦争を知らない世代」である。

以来70余年、平和憲法のおかげで国内の戦争を知らずに生きてきた。小説や映画を除いて、戦争以外で、東京の街が死に絶えたような姿に変わるのを、この目で見ようとは考えたこともなかった。

先にもいった通り、緊急事態宣言といい、その後の報道を見ていると、私が聞いている第二次大戦の戦時下と酷似してきている。

日本的な悪習は村八分や密告である。

「『花見をしている人たちがいる』『マスクしていない人を注意したらトラブルになった』――。千葉県内で新型コロナウイルスに関する110番通報が相次いでいることが県警への取材で分かった」(朝日新聞デジタル 4月17日12時30分

花見酒をしていたわけではあるまい。花を愛でて歩いていただけで通報される。私はマスクが嫌いだからしないが、電車の中でとがめるような視線を感じることがある。

お上のいうことに逆らう奴は許さない、という同調圧力が感じられるのは、私だけだろうか。

普段の差別や不平等が「見える化」されたにすぎない

世界(5月号)で、森千香子同志社大教授と小島祥美愛知淑徳大学交流文化学部教授が「感染と排外主義」の中でこう語っている。

「小島 二月二十五日、安倍首相を本部長とする感染症対策本部が新型コロナ基本方針を出したのですが、外国人旅行者への情報提供は盛り込まれていても、外国人住民については、一言も触れられなかった。

しかし、強調したいのは、今回の非常事態で急に何か特別な差別が始まったのではなく、普段の差別や不平等が『見える化』されたにすぎないということです。

たとえば、外国人子弟は健康診断さえ受けられないことをご存じでしょうか」

さらに、森は、「命の数値化」が進んでいると話している。

フランスの人類学者ディディエ・ファッサンはイラク戦争を題材にそれを考察している。殉死した米兵の家族には80万ドルの慰謝料が払われたが、命を落としたイラク市民には、もし支払われたとしても4000ドルだったといわれる。