「対米交渉条件」の緩和に向けた再検討
10月23日からの大本営政府連絡会議での国策再検討のポイントは、欧州戦局の見通し、対米英蘭戦作戦見通し、物的国力判断、対米交渉条件の緩和などだった。
欧州戦局の見通しについては、陸海軍情報部は、独英戦・独ソ戦ともに長期化するが、ドイツの優勢、長期不敗は揺るがないと判断していた。だが外務省は、ドイツが「苦境に立つ」こともありうるとの予測だった。
次に、対米英蘭戦の作戦見通しについて検討された。まず、米英蘭の間には共同防衛の了解があることは疑いなく、戦争相手を限定することは不可能との判断で一致した。そのうえで、開戦2年間は勝算はあるが、アメリカを軍事的に屈服させる手段はなく、3年目以降の帰趨は「世界情勢の推移」(ドイツの対ソ・対英勝利)などによる、としていた。
物的国力判断については、南方資源の確保により戦争継続遂行は可能とされた。なお、日米の国力比較については、その大きな国力差は周知のこととされ、特に検討はされていない(当時アメリカの国民総生産は日本の約12倍で、そのことはある程度知られていた)。
中国への駐兵問題を除き、アメリカの主張を受け入れる
対米交渉条件の緩和については、次のように合意された。
2、ハル四原則については、アメリカ側の主張を認める。
3、通商無差別の問題は、特恵的な日中経済提携の主張はおこなわず、承認する。
4、中国における駐兵については、蒙疆・華北・海南島に限定する。駐兵期間は25年間。それ以外は2年以内に撤兵する。
この合意が、ほぼそのまま最終的対米提案の「甲案」となる。中国への駐兵問題以外は、実質的にアメリカ側の主張を受け入れたものだった。
これらのなかで、最も議論となったのは駐兵問題だった。東郷外相は、全面撤兵を主旨とし、前記特定地域にのみ5年間の限定的な駐兵を認めさせる案を示した。杉山参謀総長らは強硬に反対した。
そこで東条首相が、25年案を提議し、参謀本部側もやむなく受け入れた。東郷は、いったん期限を付けておけば、実際は交渉過程で処理できると判断していた。武藤軍務局長も、25年駐兵案に異議を唱えていない。実質的な交渉に入っていけば、最終的にはアメリカ側も駐兵を受け入れる可能性があると判断していたからと思われる。
大本営政府連絡会議最終日の11月1日、会議の結論として、戦争を決意、開戦は12月初旬、外交は12月1日午前0時まで、と決定された。