この嶋田海相の態度変更は重大な意味をもっていた。東条内閣下で御前会議決定が再検討されることになったが、その背景には海軍側の慎重姿勢があったからである。だが、嶋田海相の姿勢転換によって海軍が開戦容認となり(永野軍令部総長も追認)、大本営政府連絡会議は、陸海軍ともに、日米開戦やむなしとの大勢となった。

裏目に出た昭和天皇「最側近」の選択

これにより木戸が期待した、海軍の不同意姿勢継続による戦争回避の可能性は消失し、日本の対米開戦意志は事実上決定したといえる。全く木戸の予期しない事態だった。

川田稔『木戸幸一』(文春新書)
川田稔『木戸幸一』(文春新書)

では、なぜ嶋田は突然態度を変えたのだろうか。これについては次のような見解が有力である。この3日前、嶋田は、皇族で海軍長老の伏見宮前軍令部総長から、「すみやかに開戦せざれば戦機を失す」との勧告を受けており、それが直接の原因ではないかとの見方である。嶋田は長らく伏見宮の強い信任をうけ、軍令部内で異例の昇進を遂げていた。

もしそうだとするなら、皇族である伏見宮がなぜそのような判断をもったのかが疑問になる。その点については、現在のところ解明が進んでいない。

この嶋田海相の変節による海軍の態度変更は、木戸の戦争回避のもくろみを完全に狂わせた。木戸は、海軍が対米開戦の「決意」を示さないことを前提に、9月6日の御前会議決定を白紙還元し、東条内閣により対米開戦回避を実現しようとした。

しかし、その海軍が態度を変え、対米戦への決意を示したのである。

木戸の選択は、まさに裏目に出たといえよう。木戸から見て、残された戦争回避の可能性は、アメリカが甲案か乙案のいずれかを受け入れる場合のみとなった。

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