松下さんと雑談しているときはもちろん、仕事の指示を受けているときもですが、先ほども言いましたようにメモをとることを心掛けました。私は常に、A4のノートにメモをとりました。

大学時代の話ですが、私は毎日、一冊のノートしか持っていきませんでした。教室では、必ず一番前のほぼ中央。どの講義も、すべてその一冊のノート、言ってみれば、雑記帳です。その雑記帳に講義内容をメモしていました。そして9月頃になると、清書することを習慣にしていました。そうすると、清書しながら内容が頭に入る。

ですから、試験前にノートを見返すだけで準備が終わり、苦労せずに結構良い成績が取れました。私の清書したノートはクラスメートから「貸してくれ」とよく頼まれましたし、卒業するときは後輩からも欲しいと言われ、ほとんどの清書したノートは後輩にあげて、感謝されたことを覚えています。ちなみに、そのノートが数冊、なんと半世紀以上経って、後輩たちからお返ししますと送られてきました。送ってもらったことより、50年以上も持っていてくれたことに驚きましたね。

そういう習慣が身についていたので、松下さんの話も、メモをとることが自然にできました。やり方は、まったく学生時代と同じ。もう、なんでもメモをとりました。そして、時間があれば、すぐに清書。遅くとも翌日には清書するようにしたのです。

経営の神様が語ったメモの極意

残らずメモをとろうとしたら、録音をすればいいという方もいらっしゃるかもしれません。ただ、当時は今のような小さなICレコーダーではなく、弁当箱のような大きさのカセットテープレコーダー。結構大きいんです。だから、私は使いませんでした。それはそうでしょう、そのカセットテープレコーダーを目の前に置いて、雑談できますか(笑)。

大きなレコーダーを前に置けば、お互い気楽に雑談など、できないでしょう。それで、カセットテープレコーダーを使わず、メモをとりました。しかし、そうなると目はノート、顔を伏せたままになる。仕方ないですよね。そんな状態でメモをとっていたら、あるとき松下さんに次のように言われました。

「キミ、人の話を聞くときは、ワシの顔を見て、たまにはうなずかんとあかんで」

そう言われて、「そうか。松下さんの顔を見て、うなずくことが大事なんだ。顔を見てうなずくことで、私がしっかりと聞いていること、理解していることが、松下さんに伝わるのか。伝われば、松下さんも話がしやすくなるのか」と気づきました。

それからは、松下さんの目を見て、ノートに目を落とさずにメモをとるようにしました。手元を見ていませんから、乱暴な字であったり、意味不明の平仮名が続いたり、途中で文章が終わっていたり、行が重なって、一見わからなかったりしますが、さっき聞いた話、昨日聞いた話ですから、そういうメモでも解読できるものです。