「禊のツール」になっている第三者委員会
大半の第三者委員会は、真相究明どころか、不祥事への関与を疑われた人たちが、その追及をかわし、身の潔白を「証明」するための“禊のツール”として機能している――。それが私の結論である。何のことはない、調査中はメディアや世論などの追及から逃れる“隠れ蓑”になり、世のほとぼりも冷めかけた頃に、「問題ありませんでした」という“免罪符”を発給しているのだ。個々の委員会のメンバーがどれだけそれを自覚しているのか定かではないにせよ、結果的にそうした役割を担っている事実は消せない。
もちろん、第三者委員会は、その誕生の時からこうした性格を持っていたわけではない。現在でも、真相究明に貢献する立派な報告書が提出されることもある。しかし、大きな流れとしては、ある事件をきっかけに、「不祥事が発覚したら、とにかく第三者委員会をつくる」という「ルール」が定着し、それが徐々に“隠れ蓑”の機能を強めていったのである。
「ある事件」とは、2011年に発覚したオリンパスの巨額の損失隠し、粉飾決算である。この時、上場廃止の瀬戸際に追い詰められたオリンパスを救ったのが、まさに第三者委員会だった。そして、そのツールを活用した同社の救済に、東京証券取引所が一役買っている。さらにその背後には、時代を映した国の思惑があった。そうした経緯も振り返りながら、本書(『「第三者委員会」の欺瞞』)では、第三者委員会という組織の本質をより明確にしていきたいと思う。
実は日本で考えられた「超ドメスティック」な仕組み
第三者委員会についての「ありがちな誤解」を、もう一つ付け加えておこう。さらに時間を戻して、そもそも、「社外に独立した委員会を設けて、真相究明に当たる」というスキーム自体は、いつの時代に、どこで生まれたのか、ご存じだろうか? 「コーポレートガバナンス」「コンプライアンス」などの概念同様、欧米からの「輸入品」だと理解している人が多いのではないかと推察する。だが、違うのだ。第三者委員会は、グローバルスタンダードとは縁もゆかりもない。「失われた十年」と称されるバブル崩壊期、この日本で考案された、すぐれてドメスティックな仕組みなのである。
私が調べた限り、似たような組織は、諸外国には見当たらない。純日本製であるがゆえに、「独立した委員会」と銘打ちながらも、他の組織と同じように「阿吽の呼吸で、事を丸く収める」という日本型のDNAがプログラミングされていても、不思議はないのかもしれない。