大河ドラマ『勝海舟』が、子母澤寛(しもざわかん)の長編を原作として放送されたのは、1974年、私が小学校6年生の時だったから、これは観ていたし、直木賞作家・山田克郎が子供向けに書いた『勝海舟』もその時読んだのだが、子母澤の、新潮文庫全6冊の原作は、長いこともあって最近まで敬遠していた。が、いざ読み始めてみて、ほとんど、『レ・ミゼラブル』に匹敵すると言ってもいい名作だと思い、遂に最後の第6巻はもったいなくてまだ読めずにいる。
勝海舟といえば、貧乏旗本・勝小吉の嫡男(ちゃくなん)で、小吉は『夢酔独言』という、日本初ともいうべき言文一致体による自伝を残した人でもある。海舟は麟太郎、蘭学を学び、剣客でもあり、その才能を見出されて、咸臨丸(かんりんまる)を指揮して、日本人による初の太平洋航海、渡米を実現した人でもある。ただし、子母澤の当時は日本人だけで行われたとされていたのが、のち、土居良三の『咸臨丸海を渡る』(中公文庫)で、同乗の米国軍人にかなり助けられていたことが明らかにされた。
そして幕末、陸軍総裁となり、江戸城総攻めのため官軍を率いて東上する西郷隆盛を説いてそれをやめさせたことで知られている。これまた、実際は英国公使パークスの反対によるもので、勝一人の力ではない。維新後は明治政府に仕えたが、その変節を福沢諭吉に批判されたりもしている。
子母澤のものは小説ながら、初めて詳しく勝について調べて書かれたもので、勝に敵意を抱いて会いに行った男たちが、みなその人物に感動して引き下がるというのが繰り返されていて、それに気づくとちょっと気がさすが、それでも私は勝に惚れこんだ。
私は、幕末から明治初期にかけての日本人が、西洋文明に出会って感嘆し、その優れたところを取り入れようとする、そういった場面に、小説であれ実録であれ出会うと、つい涙ぐんでしまうほどに感動する。最近では、西洋化以前の日本を美化する人が多いが、それらはしょせん幻想だと私は思っている。日本のいち早い西洋化や近代化を批判する人もいるが、それはつまらない懐古趣味だと思う。
何より勝は、もう幕藩体制では日本が維持できないことに、幕臣でありながら早くに気づいてしまった人物で、そのために幕府、ないし新撰組のような旧体制の側から憎まれる。そんな時に、子母澤の勝が繰り返し言うのが、みんなから嫌われるくらいでなくちゃあ男一人の仕事はできない、という台詞である。
この台詞がいいのだ。事実を見据えてそれを口にする人間は、人から嫌われる。むろん少数の人が理解してくれるから「徳は孤ならず」というわけだが、つらいことだし、幕末の動乱期、勝などはいつ暗殺されてもおかしくなかった。そこを生き抜いて江戸城明け渡しの大役を果たしたからいいのだが、それまでには、薩長方と見なされて失脚することもあった。そこを耐える生き方が感動をよぶ。
その一方、勝は写真でも分かる通りの美男子で、何人もの愛人に子供を産ませているし、あの天璋院篤姫からも絶大な信頼を受けて、明治になってからはよくデートしているし、恋人関係だっただろうと私は思っている。しかしだからといって、そう非難するにも当たるまい。男の気骨に女が惚れるのだから、それはいい。
だから、かつて大河ドラマ『勝海舟』で松方弘樹がやった海舟ははまり役だった。いかにも江戸っ子で剣術使いで色男という風があったが、今年の大河ドラマの、武田鉄矢というのはいただけない。私は武田の演技力は評価しているのだが、あの年齢と顔で勝海舟はないだろう。当初からキャスティングを見て懸念していた通りだ。