幕末には、「四賢侯」と呼ばれる藩主たちがいた。
宇和島藩主伊達宗城(だてむねなり)、薩摩藩主島津斉彬(なりあきら)、福井藩主松平春嶽(しゅんがく)、土佐藩主山内容堂(ようどう)の4人。
4人は、大老や老中職にはなかったものの、ときに幕政批判をして弾圧され、ときに幕政を取り仕切った。この4人以外にも「賢侯」に数えてしかるべき藩主たちがいた。
今回から6回、幕末に異彩を放った藩主たちの生きざまを通し、難局に直面したとき、いかに対処し、いかに乗り切るかを考えていきたい。
言わずと知れたことだが、江戸幕府は徳川幕府とも称する。俗に「三百藩」といわれる諸藩の頂点に立つ徳川将軍家の当主である征夷大将軍が、諸藩主のなかから「閣僚」を指名し、政(まつりごと)を行うシステムだった。
「三百藩」の藩主たちは、徳川将軍家に忠誠を尽くすように見せながらも、それぞれの「藩」=「国」のなかでは「お殿様」として君臨し、独自の政を行っていた。
徳川将軍家は改革を繰り返しながら、「政権」を維持しつづけていたが、システム自体が疲弊した幕末、鎖国制度に業を煮やした諸外国から目をつけられ、ついに黒船来航によって半ば強制的に鎖国を解除させられることになる。
むろん、長崎などから西洋の情報は入っていた。幕府は、日本が諸外国に遅れをとっている事実を知りながら、「鎖国」を言い訳にして目をつぶりつづけていたのだ。
だが諸藩は、そうではなかった。いや、そんな悠長なことはいっていられなかった。諸外国の文明を知り、積極的に蘭学を採用した。
「いま、そこにある危機」を直視する勇気を持っていた。
ここから先は有料会員限定です。
登録すると今すぐ全文と関連記事が読めます。
- 広告最小化で快適な閲覧
- 雑誌『プレジデント』が最新号から読み放題
- ビジネスに役立つ学びの動画が見放題
- 会員限定オンラインイベント
検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

