求められる徹底的な検証
なお欧州でもパニック買いが生じたという事実は、欧州経済を専門に見てきた筆者にとってもある意味で新鮮に映った。今回の新型コロナウイルスの流行のような経験を欧州があまり経験してこなかったことの証左と言えるだろう。またドイツ人は合理的であり冷静沈着であるというイメージを持つ人々にとっても、衝撃的だったかもしれない。
日々情勢は変わるが、小中学校の閉鎖や国境をまたぐ移動の制限などの諸政策がどの程度の医療的メリットをもたらし、一方で経済的デメリットをもたらしているのかという分析も、可能な限り同時進行で進めていく必要があるのではないか。さしたる医療的メリットがなく経済的デメリットが顕著となった対応策もあると考えられる。
たとえばイベント自粛の要請を考えると、閉鎖的な屋内でのイベントは中止でも、開放的な屋外でのイベントは継続しても良いのかもしれない。観光施設についても同様のことが言えるのではないか、そうしたことを検証すべきなのだろう。一律に自粛を要請するようでは、それこそマインドがいたずらに悪化し、景気の命取りとなる。
株安と円高に歯止めをかける条件
それに、今生じている世界的な株価の暴落や円高は、世界経済の停滞がいつまで続くか分からないことへの不安を反映した現象だ。逆を言えば、世界経済が再び回りはじめそうだという認識が広がってはじめて、株安と円高に歯止めがかかる。金融市場の動揺を鎮めるためにも、過度な行動制限を見直し経済への負荷を解いていく必要があるのではないか。
医療面と経済面のバランスをどうとるかは難しい話だが、後者も重視しなければ、われわれの日々の生活が回らなくなってしまう。今回のコロナウイルスの流行は、総合的な便益(ベネフィット)と費用(コスト)の観点から、今後も生じる世界規模での感染症予防対策のあり方を考える良いきっかけかもしれない。
世界経済が持続的に成長するうえでは、ヒトモノカネの自由な移動は不可欠である。感染症のパンデミックが意識されても、それらの流れを完全にシャットアウトすることなどできない。新型コロナウイルスの流行もいつかは収束し、経済も平常運転を取り戻す。根拠なき楽観と同様に、過度な悲観もまた禁物ではないだろうか。