2020年度に始まる大学入学共通テストで「英語の民間試験」の導入が土壇場で見送られた。これに限らず、日本は30年間、「英語教育政策」で右往左往している。原因はどこにあるのか。立教大学の鳥飼玖美子名誉教授は「『話す力』を『英会話』と考えることが根本的におかしい」と指摘する――。
※本稿は、鳥飼玖美子・齋藤孝『英語コンプレックス粉砕宣言』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
本当に測りたいのは「話す力」
【齋藤】文科省が民間試験を導入しようと考えた主な理由は、スピーキングの強化ですか?
【鳥飼】文科省というか、そもそも今回の大学入試改革は、産業競争力会議から上がってきたもので、産業界の要請に政界が応えたと言われています。自民党教育再生実行本部の会議では、楽天の三木谷浩史・代表取締役会長兼社長が、大学入試にはTOEFLを使うべきだと強く主張して、安倍内閣の私的諮問機関である教育再生実行会議で民間試験導入の方向が決まったと報道されています。TOEFLだけでは他の民間試験が黙っていないので、「TOEFL等」と「等」がついて、他の業者も参加することになりました。「四技能」を測るため、と言っていますが、本音は「話す力」です。しかし話す力を測るのは大変で、大学入試センターでは対応できないだろうから、民間試験に委ねるとなったようです。「ようです」というのは、実際にいつの会議で「民間試験に丸投げ」が決まったのか、議事録がないので分からない。なんだかよく分からないうちに、あっという間に決まった感じです。
【齋藤】その発想を持たれた方々は、おそらく外国人が集まるパーティーで会話することができず、コンプレックスを抱えたという原体験があるんじゃないでしょうか。(笑)