2レース、4時間強で褒賞金2億円ゲットした大迫傑の本質

大迫を長年取材してきて感じるのは、2つの道があったとすると、あえて困難な道を選び、そこで苦労しながらも結果を残してきたことが彼の「凄さ」だと思う。

写真提供=ナイキ
大迫傑

「目の前にチャンスがあるのに挑戦しないことの方が僕にとってリスクなんです」

そう言い切る大迫は、東京都町田市の出身。中学時代から「強くなりたい」という気持ちにあふれていた。高校は長野・佐久長聖に進学する。15歳で東京から長野へ。高校では丸刈り頭で厳しい生活を過ごした。これだけでも小さくない挑戦になるが、早稲田大学に進学して、彼の野望はさらに大きなものになっていく。

箱根駅伝1区で2年連続の区間賞を獲得するなど、学生長距離界のスターになったが、常に「世界」を見つめていた。一番驚かされたのは、大学4年時の冬に、チームを離れて単身渡米。箱根駅伝ではなく、翌シーズンに向けてトラック練習をしたことだ。

早大は超名門だけに、主将であった大迫の行動を批判するOBもいたが、チームメイトは快く送り出したという。仲間も認めざるを得ないほど、大迫の「速くなりたい」「強くなりたい」という思いは強烈だった。

大学卒業後は米国に移住。アジア人で初めてナイキが本社を置くオレゴン州に設立した長距離走選手強化目的の陸上競技チーム「オレゴン・プロジェクト」の一員となり、最先端のトレーニングを積んだ。2015年に5000mで13分08秒40の日本記録を樹立すると、2016年のリオ五輪(5000mと1万m)に出場する。大迫は目指すターゲットがあれば、常に“最短距離”を進んできた。

「米国に移住したのは、リオ五輪を考えてのことです。これまでも高いモチベーションでやってきましたし、僕自身、モチベーションを高くたもてる選手だと思っています。新しい挑戦の裏には、『負け』というものが常にありました。そういうところが一歩を踏み出すキッカケになったかもしれません」

2012年ロンドン五輪、わずか0秒38差で出場を逃した悔しさ

大迫といえども最初から国内で“無敵”だったわけではない。日本選手権の1万mは佐藤悠基(日清食品グループ)に敗れ続けて3年連続(2012~14)の2位。2012年は0秒38差でロンドン五輪出場を逃している。その悔しさが米国への武者修行につながり、MGCでの敗北があったからこそ、今回のチャレンジがあった。

東京五輪を狙うというよりも、マラソンランナーとして次なる高みを目指すために東京マラソンに参戦。今回は初めてケニア合宿を敢行した。

「ケニアで2カ月半トレーニングをしてきました。やることは変わらないですけど、練習パートナー(現地の選手)がいますし、より標高が高いので、今まで通りいい練習が積めたと思います」

大迫は練習内容を明かさない方針だが、非常にハードなメニューをこなしているという。マラソンは1年に2回ほどの出場が一般的だけに、1レースにかける思いは強くなる。

「すべてのマラソンがそうだったんですけど、単純に半年間、厳しい練習をしてきました。それは誰かから評価されるものではありません。でも、スタートラインに立ったときに、僕はひとつの勝利をしているんです。そこがマラソンとトラックでは違うところで、マラソンの魅力だと思います」