「まだやるのか、もういい加減にやめろよ」

私は朝8時に起床し、毎日美容室に行きます。家に戻ったら、16時までお客様にお礼状を書いたり、店の経理作業をしたりして、ザボンへ向かいます。店が終わると深夜3時まで経理作業の続きです。その日の売り上げやらなんやらを帳簿に記入して、ツケのお客様を整理しなきゃいけない。通帳を見て、入金してくれた人は売り掛け帳にチェックを入れて、支払いがまだの人には請求書を送ります。

ママの自宅では、店が始まる前だけでなく、店が終わった後も夜中の3時まで経理作業は続く。
ママの自宅では、店が始まる前だけでなく、店が終わった後も夜中の3時まで経理作業は続く。

この作業が大変で。月末の支払いはどうしようか、売り上げが少ないから、あのお金をこっちに持ってきて、女の子たちの出勤調整はどうしようか……。足りないときは自分の財布から出すしかありません。そんなことを毎日考えていると、脳に不安がこびりついてしまい、たった5時間しかない睡眠時間も寝られないんです。睡眠薬がないと寝付けないようになってしまいました。

あまりにも屈辱的で、さすがにもう銀座から離れようと思った。鹿児島にも居場所はないので、残りの老後資金を持って、物価の安い海外にでもひとりで逃げようと本気で考えました。

「私も年ですから、このへんでやめたほうがいいでしょうか」と周りに相談すると、さいとうたかを(83)先生、坪内祐三(20年没)先生、重松清(56)先生が口をそろえて、「まだやめることないじゃないか」と引き留めてくださった。その言葉は胸に深く沁みました。

三平の失敗もありましたし、ザボンだけはなにがあっても、体が動かなくなるまでやり遂げると、そのとき決意しました。三平の件は本当に、一生の不覚だったのです。

19年5月、ザボンのある銀座6丁目「第4ポールスタービル」が耐震上の理由から取り壊されることになり、店も撤退せざるをえなくなりました。大きなビルが建ち、ブランドショップに取って代わられるようです。引退のタイミングとしてはベストのような気もしますが、すでに7丁目の物件に移転することが決まっています。先生たちも、「まだやるのか、もういい加減にやめろよ」なんて言ってきますけど、私は引退の「イ」の字も考えませんでした。

都内某所のマンションで、ペットたちとともに暮らす。失恋を機に、50歳で結婚をあきらめた。
都内某所のマンションで、ペットたちとともに暮らす。失恋を機に、50歳で結婚をあきらめた。

私からザボンを取ったら、何も残りません。50歳で結婚はあきらめましたが、私はザボンと結婚したと思っています。お金がなくなり私が不幸になろうと、ザボンの灯をともし続けられるのならそれでいいのです。伊丹さんが言ったように、銀座の女は不幸の影があるほうが美しく見える。ただ、不幸な顔をしながら生きていくのではなく、それを心に秘めながら明るく生きていくというのが、銀座の女の魅力なのだと思っております。

20年1月13日、ザボンにもよく来てくださっていた坪内祐三先生がお亡くなりになりました。最後にお店にお見えになったのは、19年の12月26日のことでした。ご冥福をお祈りいたします。

(撮影=大槻純一、藤中一平、プレジデント編集部)
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