アメリカの歴史学者ウォルター・シャイデルは『暴力と不平等の人類史』(東洋経済新報社)で、古代ローマでも古代中国でも、平和が続くほど格差が拡大していることを明らかにしました。第二次世界大戦でヒロシマ・ナガサキの悲劇を体験した人類は、もはや世界規模の戦争を起こすことはないでしょう。日本でも戦後70年以上(3世代)平和な時代が続いたわけですから、「グローバル資本主義の陰謀」などなくても自然に格差は拡大していくのです(グローバル化によって格差拡大のペースが速まったということはあるでしょう)。
なぜ日本は貧乏臭くなったのか
日本の格差の特徴は、バブル崩壊後の1990年代から経済成長率が著しく低下した結果、「就職氷河期」の直撃を受けた世代にシワ寄せが来て若者の貧困化が進んだことです。その一方で、戦後日本社会を(いい意味でも悪い意味でも)牽引してきた団塊の世代は雇用と収入を守られ、定年後は手厚い年金・社会保障を享受しています。労働経済学者などが指摘してきたように、日本の格差は「世代間格差」で、本来、経済成長を担うはずの若者から活力を奪ってきたことが日本経済の失速の大きな要因になっています。
平成の30年間をひと言でいうなら「日本がどんどん貧乏臭くなった」です。平成元年は世界4位だった国民1人当たりGDPは18年には26位まで転落し、アジアでも香港やシンガポールに大きく引き離され、いまや韓国に並ばれようとしています(韓国は28位)。日本の賃金が上がらないことが指摘されますが、その一番の理由は労働生産性が先進国でもっとも低い(アメリカの3分の2しかない)こと。したがって、長時間労働で会社に滅私奉公しても利益をあげられないのだから給料が増えるわけがありません。
日本はなぜこんな「斜陽国家」になってしまったのか。高度成長期の成功体験に呪縛され、終身雇用・年功序列の「日本人の働き方」を変えられなかったことが原因だと私は考えています。以下、日本型経営モデルにどんな欠点があるかを見てみましょう。
日本の会社はアマチュアチーム
1つ目は「人材の社内最適化」。事務系の総合職で顕著ですが、日本企業は新卒一括採用した正社員を、ジョブローテーションによってゼネラリストとして育成してきました。独特の企業文化に習熟させ、社内コミュニケーションを円滑にするメリットはあったかもしれませんが、裏を返せば、会社内でしか通用しない、なんの専門性もない人材を大量生産してきたともいえます。その結果、会社という“ガラパゴス”の中でしか生きられない、つぶしの利かない中高年があふれることになってしまいました。