売り上げ重視、規模拡大があだに
藤原社長も、自分なりにファンケルを強くしようと考えてくれましたが、ファンケルがこれまでやってきた路線とは異なり、売り上げ重視、規模拡大にかじを切った結果、利益は落ち込んでいきました。そこから宮島和美社長、成松義文社長とトップが交代しても、業績の低迷は続きます。
そのなかで唯一といっていい戦略的な取り組みが、12年に実施したブランド再構築、リブランディングです。
しかし、業績はみるみる悪化し、株価も落ちていきました。リブランディングは失敗だったのです。
そのなかには、私が知っていたら反対した施策がいくつもありました。海外進出に失敗して退かざるをえなかったり。「このままでは潰れてしまう」と、本気で心配するところまで経営状態は悪化しました。
ファンケルは当時、業界内で“3LDK”と揶揄された。ローソン(L)、ダイエー(D)、カネボウ(K)から移ってきた役員や社員が多くいたからだ。創業者が経営から退いて10年近くがたち、他社の企業文化が広がっていく。そのなかで展開されたリブランディングは、創業の理念や“ファンケルらしさ”からのズレを感じさせた。
どれも“自己満足の芸術品”
社名のロゴや商品パッケージを一新しましたが、どれも“自己満足の芸術品”でした。見た目の格好よさを重視したことで、パッケージには読みづらい小さな横文字が並び、商品が何なのかちっともわからない。長年ご愛用くださっている年配のお客さまを無視しているように見えました。
私が無添加化粧品を思いついたのは70年代後半のことです。妻が「化粧品での肌荒れがひどい」とこぼすのを聞き、同じ悩みを抱える方がたくさんいることを知ったのです。化粧品に含まれている防腐剤や殺菌剤が主な原因でした。「それなら、防腐剤や香料を使わない無添加化粧品を作ればいい」と開発に取り組んだのが原点です。