熱海は観光客だけじゃなくて人口も減った

【田原】たしかに東京に近いことが熱海の最大のメリットでした。ただ、熱海は観光客だけじゃなくて人口も減った。それはどうしてですか?

田原総一朗●1934年、滋賀県生まれ。早稲田大学文学部卒業後、岩波映画製作所へ入社。テレビ東京を経て、77年よりフリーのジャーナリストに。著書に『起業家のように考える。』ほか。

【市来】観光の需要が減るにつれて旅館やホテルがなくなり、働く場所がなくなっていったからだと思います。熱海の人口のピークは約5万4000人。住民票を移さなかった人を加えると、7万人近かったという話もあります。それがいまは3万6000人まで減っています。

【田原】そんな熱海でまずは何から始めましたか?

【市来】熱海に帰ってきてわかったのは、住んでいる人が地元の魅力をわかっていなくて、熱海をネガティブにとらえていたこと。町が衰退していったので自虐的になっていたのだと思いますが、考えてみると僕自身、故郷を長く離れていて熱海の面白さがよくわかっていなかった。そこでまず熱海で面白い活動をしている人を取材して、ネットで発信することから始めました。

【田原】それは観光客より、地元の人向け?

【市来】そうです。情報も観光以外のもの、特に新しい商売を始めた人や地域づくりの活動をしている人など、人を中心に取り上げて発信しました。

【田原】たとえばどんな人がいたの?

【市来】南熱海で日帰り温泉をやっている山本進さんは、荒れ地を開墾して棚田をつくり、地元の小学生に田植え体験をさせるという活動をやっていました。実は山本さんへの取材がきっかけで、「チーム里庭」という活動に発展。これは使われずに荒れてしまった農地を再生して、熱海に移住してきた人が別荘を持つ人に使ってもらうコミュニティです。

【田原】そもそも、どうして農地が荒れてしまったのですか? 観光とは関係ないよね。

【市来】ほとんどが兼業農家のミカン畑だったんです。ミカンは価格がどんどん下がるし、高齢化の影響もあって、農業をやめる人が多かった。

【田原】それで休耕していた農地を、新しい住民に使わせると。

【市来】はい。最初は体験イベント的でしたが、ちゃんと畑を借りてやりたいという人もけっこう出てきました。いまも活動は続いていて、会員は10~20人くらいいます。

【田原】次は「オンたま」という活動を始めた。これは何ですか?

【市来】もともと別府で「別府八湯温泉泊覧会」、略して「オンパク」という活動がありました。これは地域の資源を活用した体験ツアーを、地域の方々向けに提供する活動です。僕が東京で一新塾に通っていたころに「オンパク」の話を聞いて、いつか熱海でもやりたいと思っていました。それで09年、地元を楽しむ体験ツアーの「熱海温泉玉手箱」、略して「オンたま」を始めました。

【田原】具体的にどんなツアーを?