「1杯3万円の珈琲」を飲みに通うK社長

当時、私には、一つ疑問があった。それは、10年、20年と通い続ける社長たちの心境だった。毎年毎年同じようにしか聞こえない話を、多くの社長がなぜ高いお金を払ってまで聞いているのかということだった。

そこで、勇気を出して、親しくさせていただいた社長に尋ねたことがあった。「傘屋さんの事例の次は、千葉の食品工場の商品開発で……、と次の冗談まで覚えているほどなのに、なぜ出席されるのですか」と。

すると、K社長はニヤッと笑って、こう話し出したのである。

「同じ話でも、聞くこっちの聴き方で、営業方針を変えなきゃとか、新事業の糸口が少し見えて腹が据わったなど、気づきが毎回違ってくるんだよ」K社長は講義会場で聞かずに、毎年、珈琲コーナーで珈琲をがぶ飲みしながら講義を聞いていた。

また、富山から来られているA社長は一倉先生に、「とにかく3年間は私の講義を聴き続けなさい」「なるほどと思ったことはとにかく決めて実行しなさいと諭され、素直に従ったんだよ」と。社長のあり方に悩んでいた当時の自分には、考え方の違いに驚くばかりで、3年のうちに会社がみるみる良くなり、「いつの間にか、一倉教の信者になっていた」と懐かしそうに話された。

そして、初日が終われば、あちこちの仲間が夕食を兼ねて集い、経営論を肴に自分の体験や考え方を戦わせて2日目の朝を迎えるのが、毎回の講義風景であった。

一倉先生の言葉が「これではダメだよ!」と聞こえていたのだろう。その一番の姿が「社長自身が満足し、わがまま、傲慢になってお客様を見ていない姿」なのである。K社長はお約束通り翌年2月にも、1杯3万円になるコーヒーを飲みに来て、怒られている自分の姿を思い浮かべ、また一年間走り続けるのである。

ユニ・チャーム創業者も門下生だった

大阪の金属加工業の社長は、一倉先生の教えを「背中にズドーンと太い柱が建ったようだ」と表現された。その柱とは、社長それぞれによって異なる。ある社長にとっては「お客様第一主義」であったり、またある社長にとっては「環境整備」であったりする。

作間信司『一倉定の社長学』(プレジデント社)

有名になった「電信柱が高いのも郵便ポストが赤いのも社長の責任」「経営計画書」「事業の定義づけ」など、社長の生涯を通して変わることのない信念を形作っていた。

先年亡くなられたユニ・チャームの創業者、高原慶一朗社長(当時)もまた大変勉強熱心な方であり、東部一倉社長会の主要メンバーを長年務めていた。ご自身の著書の中でも「原因自分論」という独特の表現で社長の覚悟を表明し、言い訳をせずお客様である女性の満足・不平不満の解消に経営資源を集中され、社業発展に尽力されていた。

一倉先生は、何年経っても「変わらない事業経営の根幹」を社長に叩き込むとともに、事業の繁栄は進化、複雑化するお客様の要求を満たすために「我社を作り変え続ける社長の姿勢」こそ大事であるという教えは、いかなる業種でもいつの時代にも通用するのである。まさに、本質の力を説いていたのである。

売上利益の向上は、会社の外にいるお客様を訪ね、欲求、不平をつかみ、満足する商品・サービスを提供することでしか実現しない。この当たり前の現実が、先生自身の幹部社員時代の倒産体験と数多くの指導現場で血を吐くような努力で体得した根本思想である。

だから社長への指導は、資金の確認を早急に終えると、お客様を訪問し自身の目で見て、お客様の声を直接聞き、ご要望を実現するために、社内がどんなに混乱しようともできる方法を考えさせ実行させたのである。

そこで社長が、営業からの報告をそのまま話そうものなら、たちまちカミナリが落ちる。自分の目と足でつかんだお客様のことと聞いた話の違いを、たちどころに先生に見抜かれてしまい、会社の存亡に関わることを社長自らやろうとせず、社員任せにする性根を徹底的に叩き直されることになるのである。

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