開店準備がすべてそろう「プロのための街」

だが、本来は観光客向けではなく、飲食店関係者という、プロの目利きに応える街だ。

今ではあまり使われないが、「道具の合羽橋」は、もともと「東京三大問屋街」(六大問屋街ともいう)と言われた。ほかは「電器の秋葉原」や「衣料品の横山町」(日本橋横山町)が有名だ。

「例えば、急に飲食店を出すことになっても、かっぱ橋道具街に来れば、厨房設備・冷蔵庫・冷蔵ショーケース、機械器具や食器、包丁、包装用品・容器・装飾品、製菓材料・喫茶材料から商品サンプル・白衣まで、あらゆる品がそろっています」

こう話すのは、道具街を束ねる「東京合羽橋商店街振興組合」理事長のもと健太郎氏だ。道具街の最古参店のひとつ「小松屋」社長でもある。

「東京合羽橋商店街振興組合」理事長で小松屋の本健太郎社長(撮影=プレジデントオンライン編集部)

外国人に人気の理由を、本氏はこう説明する。

「どんな飲食店にも対応できる、品ぞろえの多様性が大きいでしょうね。1980年代のエスニックブームでは、東南アジア系のお客さんが多く来店されました。ウチの小松屋は和食・中華中心ですが、単色の色合いが昔からフランス人に人気です」

この街の心意気を示す言葉がある。

「よく『ウチにはないけど、近くの××という店にあります』と別の店を紹介します。大型量販店の接客で見かける、『商品は店頭にあるだけ』という商いはしません。先人からは(道具街は)『タテの百貨店のようであれ』と言われてきました」(本氏)

ちなみに「かっぱ橋」の名前の由来は2つあり、江戸時代に合羽屋喜八の掘割工事を手伝った「河童」説と、侍や足軽が内職で作った「雨合羽」を干した橋=合羽橋から来ている。

有名ラーメン店のどんぶりも多く手掛ける

この街の由来は「大正元年、かっぱ橋に数軒の道具商・古物商が誕生」とあるが(『かっぱ橋道具街100周年記念誌』より)、小松屋の創業はそれ以前の明治42(1909)年だという。

「九谷焼の産地である石川県の小松より、本清太郎が上京して当地で創業。店名は出身地にちなんでいます。装飾品の九谷焼はあまり売れず、それなら浅草の飲食店向けに食器を売ろう、と方向転換しました」(本氏)

関東大震災前の小松屋・店舗写真も残っているが、どんぶりなど、和食器の中が見える陳列手法は昔も今も変わらない。特にラーメン丼で見かける渦巻き模様の発祥店だ。

撮影=プレジデントオンライン編集部
小松屋が取引しているラーメンどんぶりの一部。行列ができる有名店のものも多いという

「あれは『雷紋らいもん』と言い、古代中国で魔よけに使われていたそうです。雷紋に似た模様は九谷焼にはよくありました。昔からの縁もあり、今でも有名ラーメン店の多くが取引先。麺屋武蔵さん、めん徳二代目つじ田さん、山頭火さん、斑鳩いかるがさんなどです。もし『人気ラーメン店ベスト30』を選ぶと、半数は取引先ではないでしょうか」