昭和20年代には、プロ野球の王貞治氏の父である仕福氏もよく訪れた。当時墨田区内で中華「五十番」を営んでおり、小学生だった貞治氏を連れて、自転車で買いに来たという。
昭和時代のラーメン丼も見せてもらったが、現在の一般品よりかなり小さい。
「当時は屋台も多い時代。小さな丼は手狭な店にとって使いやすく、立ち食いも多かったお客さんには持ちやすかった面もあります」(同)
魚介だしなど、スープの原価が高い店は、スープ量が多いように見える丼など、飲食店の要望に応じてオリジナル丼を開発するのも小松屋の持ち味だ。
「ジャンボコック」がシンボルの洋食器屋さん
東京メトロ・田原町駅側から、道具街を訪れる人の目印となるのが、ビルの屋上に置かれた巨大なコック像(通称:ジャンボコック)だ。「ニイミ洋食器店」も古参店のひとつ。
「1907年に、私の曽祖父である新實吉五郎が『新實道具店』として創業。吉五郎は愛知県西尾市から上京して、商売を始めたのです。その長男で私の祖父、2代目・善一が食の洋風化をにらみ、1920年に『ニイミ洋食器店』に業態を変えました」(4代目・新實孝社長)
「飲食用器具や備品、食器の総合卸・販売」を行う同店の1~3階には、1万点以上の商品が陳列されている。全国各地の飲食店に支持されて成長したが、最近は個人客も目立つ。
組合の副理事長も務める新實氏は、外国人客の傾向をこう説明する。
「どこの国の方か詳しく聞くことはありませんが、店によって傾向は分かれます。刃物や調理器具を扱う店では西洋系のお客さんが多く、お菓子道具を扱う店はアジア系のお客さんが多いようです。当店は昔から外国人も目立ち、大半は飲食店関係者でした。父で3代目の善三郎からも『プロのための街でなくてはならない』と言われ、商売をしてきました」
実はコック像のモデルは、新實氏の祖父の善一氏(完成時は会長)だ。善三郎氏(当時社長)が、新社屋を建築する際に「ビルを建てるなら、洋食器のイメージを宣伝できるものにしたい」と発案した。ただし、コック像は善一氏の風貌とは異なる。「あまりにも似ていると本人が落ち着かない」とのことで、善一氏が生やしていなかったヒゲも生やしたという。